「WATCHMEN」で繰り返し出てくる言葉。「誰が見張りを見張るのか?」と言うことで、うまいこと言うもんだと思っていたらユヴェナリスのお言葉だったそうです。
http://www3.nhk.or.jp/news/2004/06/04/d20040604000131.html
「マスコミは第四の権力」とは最近あんまり聞かなくなった言葉である。絶対的な権力は絶対的に腐敗するからだろうか。
第四の権力、と言えば、大本営発表とかを引き合いに出して、マスコミが既存の権力と癒着しているかどうか、と言う議論の方に熱が入っていく人のほうが多そうだけれども。マスコミそれ自体が、チェック機構の甘い独自の権力として気ままに転がりまわって居るほうが問題であると、そんなふうに思います。
視聴率を通じて国民にチェックされている、と主張されてみても、日本テレビのディレクターが視聴率操作をしていた話を思い出すと、ハニワのようなスマイルで「そうですねえ、仰る通りです」とか言うしかないわけで。週刊誌とか新聞とかテレビ局とかが相互監視を行っているかと言えば、果たしてそれが「監視」と言えるほど強力で定点的なものなのか。実のない罵り合いか、急所攻撃なしの約束組手なのか、そのあたりはどうにも判断できかねます。
まあそんなわけで、マスコミや個人記者の格付けや価格判定を行うページとかあったらなかなか実用的かも知れませんな。とか思ったわけですが。もっとも、運営するのは至難を通り越したレベルになりそう。ちょっと考えただけでもげんなりです。
そもそも運営できるのか、とか、基準はどうするのか、とか、ありますし。オープンにしていたずらされたら終わりですし、クローズにしても、ファナティックでこういうの好きな意見の持ち主が入り込んでくれば終わりですし、だいたいクローズにしちゃったら、格付けしてる人そのものへの信頼の問題に帰ってきちゃいますし。
結局のところ、「誰が見張りを見張るのか?」の問題に戻ってきてしまうわけですな。見張りに見張りをつけたら、その見張りにも見張りをつけなくちゃいけない。どこかで輪をつなげなくちゃいけないんでしょうが… 全く上手いことを言ったものです。消沈。
権力の源泉が情報を統制する能力にある(と言う話は新巻義雄さんの小説で読んだような気がするのでちょっと及び腰ですが)とすれば、ネットの普及によってその機能が全体的に弱まっているのは間違いないでしょう。
ネットで流れる情報が正しいか正しくないか、と言う問題ではなく、マスコミとは全く違うルートで情報が、一気に、しかも大量に流れる状況が整備された。
「権力の不手際に、大衆はあまりにも寛大」。小泉首相訪朝後の騒動を論じた日経新聞の春秋(だったかな)の結びの言葉に、笛を吹いても踊るとは限らなくなった人達を見たときの、そんな焦りみたいなものを一瞬思い描いたものでした。
…ユヴェナリスと言えば「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言った人。
誤解されている誤解されているとよく言われるこの言葉、先輩に「『頭ばかりでも体ばかりでもダメよね』って意味ですか」と聞いたら、ハニワのようなスマイルを浮かべておられました。そりゃもうアルカイックに。
最近のコメント