本を読んだら理解もしたい。
「知能の謎」をようやくなんとか読み終える。読み終えると言うよりも最後まで辿りついたと言ったほうが正確で、内容はじゃあどんなん? と聞かれると、てへへ、と頭を掻いてしまうわけですが。
本を読むと言う事は、感想なりレビューなりを書けないと読んだことにならないかなあ、と思う昨今。何かについて理解したのであれば、それを自分なりに別な表現に置き換えることが出来る筈であり、本を読んで内容をなるほど理解した、と言うのであれば、それを要するにどういうことか、と自分で編み出した言葉で置き換えられなくてはいけない(それが合っているかどうかは、また別の問題として)。
文中にクオリアと志向性の話がある。神経の感覚から脳へと上っていくボトムアップの刺激、言葉になる以前の刺激がクオリアで、それに対して、「言語」として整理されているような、脳内の情報ライブラリのようなものが志向性(ああこのあたりかなり把握いいかげん)。
赤い花を見たとき、「赤い!とにかく赤いから!」と言う見たまんまの情報が目から脳に行く。脳からは目に「赤いって言うとこういう感じ」って言うイメージを呼び起こす作用が働き、この二つがコンバインしてようやく、目が見た「赤い花」が情報処理されて、脳内に浮かび上がる、と言う按配。…これって「シゾイド人間」とかで見た、要するに「人間は見たまんまの世界じゃなくて、誰でも現実からちょっとだけずれた「自分のイメージの世界」に生きている」って話と、ちょっと似てるな…。でもクオリアの話って、「ロボットの心」だともうちょっと難しく書いてあったよな、とか。
そうそう。ときどき電話口で聞き違いとかをしているのを見ていると、人は他の人の話を「聞いている」んじゃなくて、途中まで聞いた段階で「類似の知っているもの」「自分が期待しているもの」を探し出して当てはめてるんじゃないか、って思うことがよくありますな。これも志向性の話にちょっとつながってるのかな。と思ったり。
読書をするととりとめもないことを考えます。と言う話でした。
そうそう、ipod shuffleを買うかも。でも買わないかも。と思い、試しに手持ちの機材だけで同じようなことをやろうと思ってみました。WindowsMediaPlayer10からポータブルデバイスに転送、ってのをやってみたんですが、適当にやったらルートフォルダに音楽ファイルが落ちちゃったりして、なんかあんまり便利をよくするには工夫がいりそうな感じではないですな。
今度、仕事が一段落したらiTuneを落としてみましょう。
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