ミュシャ展を見に行く
愛と理性は相克する。英知だけがそれを統合することができる。
うろおぼえですが、それがミュシャと言う人の信条だったようです。
スープカレーオフ会が新宿で流れ解散した後。
余勢を駆って行ってまいりました、東京都美術館のミュシャ展。
まだ行かれていない方へまずお知らせ。
ものすごい混んでます。特にチケット売り場。チケットはあらかじめ手に入れるか、上野駅の改札内にある出張窓口で購入されることをお勧めいたします。
館内はミュシャの作品を、基本的に創作時期の順に並べて展示しています。
ジスモンダ等、サラ・ベルナールの一連のポスターは少し奥のほうにありますが、3mはあるんじゃないかって位の相当大きいものですから、展示の場所が難しかったんでしょうね。奥の階段のあたりにあるので、階段を上った上から見ると、ロングショットで見られていい感じですよ。下書きと言うか、習作なども展示されていて、見比べていると結構面白いです。
モラヴィアでの時代からパリに出て大活躍した時代の作品群。連作のリトグリフにポスター、それに手がけた各種商品(ゴーフルの箱までありますよ)、珍しいところでは店舗デザインのラフ画にブロンズ像、彫金細工のネックレスなどなど。さらに珍しいところでは、フリーメイソンの会員証などのデザインなども行われていたようです。先ごろの信条も、フリーメーソンに影響を受けたものでもあるようですね。
アメリカに移住してからの時代の作品群が続きます。「百合の聖母」とかですね。
さて。正直言って、ミュシャと言う人についてはあまり詳しく知らなかったのですが。氏の後半生について、今回の展覧会で初めて知りました。
アメリカに渡って集めた資金で、スラヴ民族の歴史を描く大作「スラブ叙事詩」の作成に20年を費やし、その間(第一次世界大戦が終結して)チェコスロバキアが独立すると、新国家のために国章や紙幣、切手をデザインする…。
一枚のポスターで旋風を巻き起こしたパリの寵児、アール=ヌーヴォーの担い手、そんなイメージしか持っていなかっただけに、ミュシャの後半生… と言うか、ミュシャ本人の意図としては真骨頂と言うべきであろう後半生の作品やその習作群は、見れば見るほど衝撃でした。
オーストリア帝国の圧迫に押され、スラヴ文化はドイツ文化の前に危うくなっていた。スラヴ民族としての強烈な自負を持ち、その人生の中で「祖国が誕生する」と言う稀有な経験をした、この人の高揚はいかばかりであっただろうと。
そして、ナチスドイツの台頭の中で生きた晩年の心持は、いかばかりだったのだろうと思うと。くらくらするばかりです。
没したのは1939年7月。1918年に独立したばかりだった祖国チェコスロバキアは、四ヶ月前の3月15日のプラハ進駐で事実上消滅しておりました。
展示されていた作品の中に、独立15周年を記念した作品を見ながら、そんなことを思ったりもしました。
近場で見ると、華麗と言うよりも、その筆致の緻密さと意外なくらいの力強さに驚きます。精密で精緻な下書きを入念に行った上で、力強い筆で描き上げた、とでも言えばいいのでしょうか。まるで機械でデザインしたかと思うような、計算されつくした配置といい、なるほど習作を仕上げた上で実作をものにしているんだなあ、と、かなり納得でした。
途中で下北沢で別れたきりのサンドマンさんにミサイル超獣さんとばったり遭遇。考えることは皆同じなのかも知れません。
しかして実はスープカレーのせいかかなり差込みが来ていて、ご不浄に駆け込むことしばしと言う、結構ぎりぎりの状態で。ろくに挨拶もせずにまたはぐれてしまいました。
出口で待っててご挨拶してから帰ろうかな、と思っていたのですが、帰り道でまた差込みにやられて移動しているうちに、お帰りになったらしく…。
教訓。展覧会は体調に余裕をもって挑みましょう。と言うよりもむしろ、我ながら最低。
尚、最後の物販コーナーがかなり広いですが、ここも相当混みます。解説のお姉さんに絵を進められてもうかつに買わないように、Tシャツはどこで着るだろうかとちゃんと考えましょう。例のミュシャのフィギュアもたんまりありますが、場所をわきまえて購入数には気をつけましょう。
そんなわけで挫折したり我慢したりしながら、なんとか帰宅。物販コーナーで何も買わなかったのは、これを購入するためでした。
ミュシャ作品集(CD) \2,880
ビックカメラでも最後の一枚でしたよ。あぶないあぶない。
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