ブラッドオペラ : 記憶と言うわかりにくいもの
昨日に引き続いて推測っぽい話。でも手短に。
血液記憶と言うものは要するに血液+記憶なわけで。そうすると記憶は電気信号じゃなくて化学物質で保存されているんだなとか、短期記憶と長期記憶の区別はどうなるんだろうとか、色々考えていた訳ですが、今ごろになって記憶って言う概念そのものの難しさを全く失念していたことに気が付いてしまう。
たとえば、中国語が全く判らないドレーガが、中国語を母国語とするロアドから吸血してその血液記憶を読み取った、と言う状況があるとして。
もし記憶が、感覚装置への入力を単にレコードしただけのものだとすれば、そのドレーガは、ロアドと周囲との会話を(ロアド本人が話した言葉さえ)ほとんど理解できない、と言う事になります。中国語に関する知識も一緒に吸収した、と解釈するのであれば別として。
逆にドレーガが、そのロアドと周囲のドレーガとの会話をスムーズに理解できるのだとしたら、それは言わば、「解釈済みの記憶」を読み取っている事になります。しかしそれは、言わば「翻訳済みの本」を読んでいるのと同じことであり、そう解釈すると、「血液記憶を吸収したからといって、中国語に関する知識まで吸収したとは限らない」と言う事になるでしょう。
処で、吸収された血液記憶は永久不変なんでしょうか? 「読み出される」時に、ドレーガ本人による解釈を経ることはないのでしょうか? 人間は自分の記憶でも、それを想起するときに位置づけし、意味付けることで、「記憶」そのものを変形させることすらします。金星はUFOになり、何気ない仕草は陰謀の一部になり、地震の前には動物が異常な行動を取っていたことになるのです。
ドレーガ自身もまた、血液記憶を己のものとするときに、それに再解釈と意味付けを与え整理することになるでしょう。つまり、ドレーガが意識を持って行動している限り、血液記憶は変容するし、しなくてはならないはずなのです。
それとも、ドレーガにとっては「自分自身の記憶」と「他者から得た血液記憶」は全くの別物で、ちょうど《記憶宮殿》のように、いつでもアクセス出来る巨大なデータバンクに過ぎないのでしょうか?
スタートブックには気になる書き方がしてあります。
『老化に伴って劣化する脳の記憶と違って、血液記憶は直射日光にさらされて崩壊したり、聖錬された銀の武器で破壊されない限り、何百年経っても失われません。』
どうにもこの文面だけ読んでいると、「記憶は本来、付け加わる事はあっても、決して変容する事も変化する事もないものである。「忘れる」のは脳の機能不全が原因なのである」と解釈されているようで、ちょっと首を傾げるんですが…。
とにかく、血液記憶が変容しないものである、と言う事は確かなようです。別な言い方をすれば、ドレーガは記憶を解釈することが出来ない、と言う事を意味するのかも知れません。それは人間と言うより、いかにもフレーム問題あたりに引っかかりそうな古い人工知能に近い代物のような気もするのですが…。
処で、ドレーガの性格は、人間だった時の性格がフィックスしてさらに極端に誇張されているのではないか(アナスタシアの闘争、イゾルデの陰謀、ホリィの慈愛、ロジックの執着、etc)と言う意見が、掲示板でありました。
ドレーガになったことで、血液記憶が失われることがなくなった(そして過去の血液記憶に対する新たな解釈もできなくなったとすると)、確かに「ドレーガになった」時点での性格の方向性は固定されてしまい、その後はその路線で突っ走るしかなくなるのかも知れませんね。
あ。
『血液記憶は決して失われることはない。ただ時々思い出せなくなるだけで』と言う言い訳を、いま思いつきました(笑)。
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