生くるもの、なべていつかは
人は死んだらどうなるのだろう?
こんな永遠の問いに、今のところはたったひとつだけ。誰も否定できない答えがある。
人は死んだら、死体になるのだ。
死物学の観察ノートって言う本が、ちょっと前の本でなんかさんざん紹介した気もするんですが、思う処あっていま再びお勧めです。
ゲームをしていて(アニメを見ていても)時折気になること。それは暴力が過剰であることでも、死が軽々しく扱われている事でもない。死の必然の結果である「死体」が、そこに欠如していること。
や、別に死体を見たいわけではないんです。むしろ見たくないです。勘弁してー。ひい。…いやなんだ。そういうことではなく。どれを取ってもほぼ同じなので、どのゲームが特にと言う事はないんですが…
よくやるゲームで言えば、FFXIで倒された敵は、すーっ、と消えていきます。
例えばウサギを倒せば毛皮や肉が戦利品として手に入るので、ノックアウトしているのではなく仕留めていると思うのですが、死体はそこに残ったりはしません。一定時間だけ灰色のネームでそこに留まって、痕跡も残さずに消えていきます。
ドラクエでも同じ事で、倒された敵は死体にはならず画面から消えていきます。何のアニメだか忘れましたが、死んだ人が光の粒子になって消えてしまうシーンがあって、いいシーンなんだけどなあ… うーん… と思った事があります。
この「あらかじめ失われた死体」と言う矛盾に、実は真正面から取り組んでいたのがFFXであったかも知れません。その意味で、僕はあの作品けっこう好きです。最後までクリアしてませんが(自白)。
ゲームが8ビットだった頃は。描かれていない事は単に、入りきらなかった隙間のひとつであって、特に「明示して書かない」と言う意図があったものではありませんでした。別に死体が阻害されていたわけではなく、それは描く気のあるなしに関わらず、お皿に盛りきれないもののひとつでしかなかったのです。
グラフィックは飛躍的に進歩し、皿に盛り付けることができなかったものは次々と俎上に載せられていきます。しかし、描写が精細になるにつれ、描けないもの、描きたくないものの姿が、逆説的にそこには浮かび上がってくる気がしています。
UOをやっていて、最初とにかく衝撃だったのは、敵を(動物を)殴り殺して皮をはぎ、戦利品を得て換金する、と言う、序盤のゲームサイクルそのものでありました。動物から皮や肉を剥げば血溜りが生まれ、戦死した冒険者は風化して散らばった骨となり、しばしその場に留まります。
誰かが言っていた「欧米人の血の感覚」に、強烈な異文化を感じ、ゲームとはいえと正直ちょっと引いたこともあったのですが。その後あれこれ考えるきっかけになったと思っています。
いやもちろん死体を見たいわけではないし、死体を過剰に強調するのは、単に悪趣味なだけで、いいことなんかなんにもないと思います。
しかし、死体を疎外し、死と死体との関連付けを過剰に無視することもまた、裏の意味で、死体の過剰な強調じゃないのかな、と。そんな風にも思うのです。
上記の本には、動物の解剖にまつわる話などがあれこれ載っています。もうその時点でダメな人は完全にダメだと思いますが(苦笑)。いろいろと考えさせてくれましたと言うことで、ひとつ。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 2020年読書録(一部その他含む)(2020.12.31)
- あるいは謎を語る者の覚悟について:「死に山」(☆☆☆)(2019.01.24)
- 奇譚を売る店(☆☆☆)(2019.01.17)
- 湖を越えて行け、海原の覇者となれ:新・水滸後伝(☆☆☆)(2018.09.21)
- 星を渡るは九重の塔・天駆せよ法勝寺(☆☆☆)(2018.07.09)
コメント
やって! ちゃんと終わらせてくれよ旦那?!(爆)<FFX
個人的にはかなり好きな部類に入りますFFX。X-2もやりましたとも、えぇ(つД`)
投稿: 風波 | 2005.09.08 08:58
終わらせますよもちろん!?
第三次αとメタルサーガとJとブラッドオペラが終わったあとに!
…。
…どんなに早くても来年か。
投稿: sn | 2005.09.08 20:27
>死の必然の結果である「死体」が、そこに欠如していること。
いや、なるほどその通りですね…。
これはいろいろ考えさせられる話だと思います。
ちょっと脱線します。
祖母が死んだ時、最期を看取り、葬儀までずっと関わってまして。
死体って数日おいておくと匂いはじめるんですよね(季節によりますが)。いくら見た目は寝てるようにしか見えなくても、確実にタンパク質が腐ってる匂いがしはじめます。
その時ようやく「死ぬということ」を実感できた気がします。
やっぱり死体は見たいものじゃないですけど、隠したり、美化したりするよりは直視した方がいいんじゃないかと思うんです。
いやー、なんか重くなりますね、生き死にの話は。
でも、避けてられるわけじゃないですからね。それはもう、誰一人として。
とりあえず「死物学の観察ノート」は読んでみようと思います。
投稿: キャプテン | 2005.09.08 23:27
こういうことを考える… と言うか、考えるきっかけに気付く機会って、やっぱり葬儀の時ですね。
近年、身内で亡くなる人が多く何度も葬儀に参加してきたので、それもあってつらつら考える事が多かったのだと思います。
これもひょっとすると関係あるのかも知れないんですけど、自分エビとかカニとか苦手なんですよね。
我ながらどうしてだろう? とつらつら考えた結果、「生きている時の姿を留めている、又は想像できるもの」は食べられないんじゃないかとか。そんな風に思い至りました。我ながら意気地のないこと夥しいものです。
いまでも学校で動物の解剖の授業ってやってるんですかね。フナとカエルには覚えがあるんですが。
今度、母(教師)に聞いてみます。
投稿: sn | 2005.09.10 11:53