自動車事故と言うたとえ
リンク: Yahoo!ニュース - 読売新聞 - 「BSEのリスク、自動車事故より低い」…米農務次官.
「BSE(牛海綿状脳症)のリスクは自動車事故よりはるかに低い。日本の消費者が適切な判断をすると信じている」
この言葉の最大の問題点は、完全に正しいというところにあると思います。
我々は既に、自動車と言う悪魔に魂を売っている。
利便性と引き換えに、交通事故の犠牲者を生贄に捧げているのです。
自動車社会とは即ち、倫理は利便性と交換しうる、と言う事を雄弁に物語っているわけです。
そんなことを偉そうに言えるのは、自分が電車網の発達した環境に住んでおり、日頃の生活で自動車に乗る必要性が無いから、と言う点に立脚しているからに他なりません。
しかし、自分が生活している上での物流は、買い物から郵便から、何から何までが、誰かの運転する自動車の存在の上に支えられています。自分が運転しないからと言って、「自動車は悪だ」と断ずるのは、その恩恵に預かりながら、一方的にそれを断罪する、偽善以外の何者でもありませぬ。
それでも、ときに思うのです。
かけがえのない命を奪われた。命は何よりも大事。犯罪で誰かの命が奪われた時、そのニュースは何日も耳目を騒がすのに、交通事故で死人が出ても、時としてそれはもう、今日、人の耳目を驚かす事にすらなりません。「交通事故にでも遭ったと思って」とは、不可避の不運な偶然の例えですらあります。
平等であるはずの、ひとつの命が失われた。その事実にかわりはないはずなのですが。
昔会社の交通安全の代表になったことがあり、赤坂警察に研修に行ったことがありました。
実は恥ずかしい事に日にちを間違えており、気の毒に思った警察の人が応対してくれたのですが。
交通課の刑事さん曰く、「必要がないなら、乗らないのが一番だよ」と。その言葉が、心に響いております。
てか自動車じゃなくて牛肉の話ですよね。
「BSEのリスクは交通事故よりもはるかに少ない。従って、牛肉を輸出して自動車の輸入を規制すれば、我国二重にハッピー」とか言われなくて、まだよかったのかなあ。とか思いました。
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