誰かの人生のNPC(☆★)
リンク: アバウトミー - 自分発見プロフィール.
そもそもなぜ。自分がブログを書いて更新するかと言えば。それは自分の好きなものごとについて。いかにそれが好きか、どうしてそれがそんなに好きなのか、を訴えたいから、と言うことに帰結します。自分が好きなものについて訴えたいのです。他の人にも好きになってほしい。
「自分の好きなものを、みんなに好きになってほしい」、突き詰めて言えば、そんな極めて浸食的な事情で、日々ゲリラ的に更新を繰り返しているわけです。
もちろん、blogを書くのが自己顕示の現れであることは肯定すべきことです。畢竟、人間は自己愛を持ってしまった生き物なのです。素直に言って、読んでもらえると言うのはとても有り難いことです。ただ、どうせなら僕の書く文章に不満を持ってほしい。「なんかものすごい勢いで書いてあるけど、結局、実物はどうなんだろう」って思ってほしい。そして自分の目で確かめてほしいし、実物を見て、直接それを好きになってほしい。
たとえば、ロボットの記事を見てロボットを見に行った人の中で、本当に自分もロボットを作る人が出るかも知れないし、そんな人がいつか優勝するかも知れない。
もちろん、そうでなくてもいい。僕よりも、その人がもっとロボットを好きになってくれればそれでいい。結束点としての役割を果たすことが出来れば、これほどうれしい事はないのです。
しかし、これはあくまで自分を中心にして据えた話です。別な言い方をすれば、「僕」がどういう人なのか、予め知っている人だけに向けて話している、と言ってもいいでしょう。
まあ、もはや今時、インタアネット経由で全世界に発信してますよー! なんて言う一段ポップアップしちゃってることを言うつもりはありませんが。たとえばもし、検索エンジンでこのblogを見つけて、記事を読んだ人がいたとしたら。「コレが大好きなのは分かったが、そもそも君はどういう誰だ」と言うように考えるのは畢竟でしょう。実際、僕も他の人のとこを読みに行ったら、その人がどういう人で、どういう事情でこの記事を書いたのか? って、考えるでしょうし。……だから、プロフィールは、なるべく書かなくちゃいけない。
……さはありながら、僕が書きたい事の中に、「僕」のことは必ずしも入っていない。自分の見たものについて話すのはいい。自分の身の回りに起きた事も。自分の好きなものについて? 大歓迎カモン。ロボットがいいかね電子マネーかねクトゥルフネタも結構いけるよ。それはともかく、自分自身について言及するのは、あまり好きではないし、むしろ出来れば避けて通りたいものです。mixiに登録されている人なら、僕のプロフィールがほとんど更新されていないことはご存じのはず。blogのプロフィールなんか、かなりの長期間、いじった記憶がありません。
考えてみれば、とてもおかしな話です。「自分の好きなもの」ってのは、自分語りそのもののはずなのに、それだけ繰り返しておいて、自分自身について言及するのを嫌がると言うのは。
まとめが出ないや。
もう少し。作品としての自分自身を向上させるよう、今後心がけたいと思います。
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コメント
ブログに、見た物、好きな物、体験談等を書くのはともかく、個人情報を垂れ流すのは、色んな意味で危険ですからねぇ。ネットを見ているのが善良な人ばかりとは限らないし(苦笑)、小綺麗な若い女性なんか、顔写真でも載せようものなら、変な男まで寄って来るし(苦笑)、昨今のネット絡みの犯罪増加を見るにつけ、プロフィールをなるべく簡略化するって言うのは、防犯上、適切な事だろうなと思いますよ。
そこら辺を割り切った上で、ブログやネットは楽しめば良いんじゃないかなぁ?
只、ブログでいい事書いているな、と思える人が、リアルでは実は…なんて事も往々にしてあるので(苦笑)、そこら辺の見極めも気を付けなきゃいけないと言う問題点もありますが(苦笑)。
投稿: LILY | 2007.05.20 11:47
これはなかなか、語りにくいというか、自分にとってはずっと気に重くのしかかっている問題です。
結局、文章って言うのは自分を切り売りしてる事になるんでしょうけど、それは単なる自分の切り身じゃなくて、色々味付けした「作品」にならざるを得ないし、そうあるべきだと思うのですよ。意識的にやっていなくても、無意識にそうなっている部分はあるんだろうなと。
そうして作り出した「作品」と自分自身が似ている、と言われると。そこに乖離がないことを喜ぶ反面。なにかこう。ひやりとした居住まいの悪さを感じるのです。
本当に自分の言いたい事はなんなのか、やりたいことは何なのかと言う事を、なにか表に出す前に、自分の中で補正してしまって片付けているような。別に我慢しているつもりはないし、実際我慢もしていない。だからこそ、逆になにか空恐ろしいと言う。
なんだかよくわかりませんが、僕は「僕」のことが、多分判っていないし、なるべく目を背けていたいんでしょうね。そんな気はします。
投稿: sn@散財 | 2007.05.22 22:42