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2008.02.24

ナーガールジュナの青い鳥(☆-)

「な なんだってー」
「ああ…… なぜメーテルリンクが仏教徒だと主張するのか、不思議に思うのが当然だ。オレだっていまだに信じられない」
「どういうことなんだキバ○ヤシ」
「つまり、こういうことだ。モーリス・メーテルリンクの代表作『青い鳥』のラストは知っているな。『僕たちずいぶん遠くまで行ったけど 青い鳥ここにいたんだね』。確かそんな感じだった」
「いや確かそんな感じって」
「しょうがないだろう。ちゃんと読んだ事ないんだから」
「いいのか論拠がそんないいかげんなことで」
「そして大乗仏教の経典のひとつに『中論』がある。三世紀ころのインドの哲学者、竜樹ことナーガールジュナの著作だ」
「読んだことあるのか」
「ない」
「いやだからさ」
「ここで竜樹はアビダルマ教学を批判して、だいたいこんなことを主張している。世界のすべては否定されるべき俗なるものだ。そこには否定されることのない絶対者はあり得ない。しかし、すべてを否定し尽くし、空性の瞬間に触れた時。一度否定された俗なるものは、聖化された俗なるものとしてよみがえる。俗なる世界は、『聖なるものに触れた目に写る俗なる世界』として、そのままの姿でもういちど再生するわけだ」
「つ つまり?」
「チルチルとミチルの探している青い鳥は、はじめから家にいた。しかし、そこにいることに兄妹は気付く事が出来なかった。青い鳥がそこにいることに気付く為には、家を出て遠くまで探しに行かなければならなかった。家と言う俗なる世界をまず否定し、旅の先々にあるものを、青い鳥はいなかった、として次々と否定していく」
「存在を全否定かよ」
「『ずいぶん遠くまで行った』。つまりおおむねいろいろなものを否定し尽くしたのち、青い鳥はどこにもいなかった、としょんぼりして家に戻ってくると、なんとそこに探していた青い鳥がいた。つまり、否定の果てに再生した世界、竜樹の言う『仮設』の象徴として、青い鳥が描かれているわけだ。あえて適当に言うと、チルチルとミチルは悟りを求める者を表現していて、青い鳥は悟りをあらわす、というところか」
「……いやー、でもそれくらいだったら他の作家の他の作品もってきても、いくらでも言えるんじゃないかな。『時よ止まれ、お前は美しい』って言う台詞を盾にしてゲーテは仏教徒だったとかなんとか」
「ウパニシャッド哲学における梵我一如を皮切りに、この世界がそのままの姿で聖なるものとする考えは古代インド哲学の出発点から存在していた。日本においては本覚思想という独自の…… ま、待ってくれ。ちょっと待ってくれ。どうやらオレは大変な考え違いをしていたようだ」
「最初からじゃないか」
「いやちゃんと段取りを踏んでもらわないと」
「どういうことなんだキ○バヤシ!」
「モ、モーリス・メーテルリンクのつづりはMaurice Maeterlinck、つまり略するとMMRじゃなくてMMLになってしまうんだ!」
『な、なんだってー!?』

※参考文献:はじめてのインド哲学(立川武蔵)
※『青い鳥』や『中論』どころかMMRもちゃんと読んでません。申し訳ないです。

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冗談」カテゴリの記事

コメント

宗教大好きだけど
盲点でした

投稿: ヨッコ | 2008.02.24 12:06

こういうの大好き。

>キバ○ヤシ
>キ○バヤシ
伏せ字になってないよ!

投稿: キャプテン | 2008.02.24 14:14

>ヨッコ姉さん

 まあ思いつきと継ぎ合わせで作れる程度のものですので、冗談程度にひとつ(笑)。
 西洋哲学と東洋思想は同じ事を言っているんだー! みたいな話は昔ひとしきり流行ったそうですので、ちょっと真似してみました的次第です。

>キャプテンさん

 これは獨伝把流(どくでんぱりゅう)と呼ばれる伏せ字の付け方で、おおよそ四年位の歴史のある由緒あるものなのです。源流を遡るとゲーム帝国に辿り着くと言われておりますが。

 正直に言うと、獨伝把奥朗と言う人の伏せ字の書き方がこんなですごい面白かったもので。無断で真似した次第です、はい(笑)。

投稿: sn@散財 | 2008.02.25 22:43

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