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2008.12.10

メモとノートと人間エンコーダ。(☆)

2008121001

 目を覆わんばかりの汚い字でございます。よく読めたなこんなの。
 去年のバカロボ2007の時もそうだったんですが、日曜のバカロボ2008を見に行った時も。いつものX41T、ノートパソコンではなく、道すがら調達したメモパッド(というか本物のノート)を持参していきました。もちろんレポートを書くため、メモを取るためであります。いつものノートを持ち込まなかったのは、一応こう。所謂「ロボットのイベント」ではない、と言う事、どちらかと言うと興業であってステージである、と言う事を考えると。観客席で怪しい事をやって、進行妨げたりすると色々まずいかな…… と思ったからなのではありますが。

 後になって考えると、その場にノートを持ち込んでキーボード乱打でリアルタイム書きするのと、メモに走り書きして、家に帰ってからゆっくり書くのとでは、できあがるものの風味がやっぱり違うんですよね。個人的には、メモ書きを持ち帰って、時間を取りながら書いた方が、やっぱりこう、気に入った仕上がりになります。
 これだけ手段が違えば、できあがるものが違うのはそもそも当たり前ではありますが。やっぱり、気になることではあります。

 色々考えて思うんですけども、文章を書いたり、よしんばレポートを書くって言う行為は。一種暗号化、エンコードのたぐいじゃないかと思い至った次第です。現実と言うものは、とんでもないほどの量の情報の塊で、それをそっくり記録する事は不可能です。録音や録画ですら、さまざまな重要な情報を取りこぼしてしまうのは周知の通り。
 まして、人間一人、その五感を媒介にして。感覚で掴んだ出来事を、巧拙ともあれ、文章と言う形に殴り叩いていくと言うのは、大げさに言ってしまえば、情報のリアルタイムエンコードに他なりません。自分自身と言うエンコーダを通す事で、現実の出来事を、テキストと言う文字情報に不可逆圧縮してしまうわけです。

 そんなことをすれば当然、とんでもないほどの量の情報が失われてしまいます。圧縮しすぎた映像にノイズが乗るように、自分と言うエンコーダの作り出した歪みが、さらにその情報をみょいんと曲げてしまうわけです。結果、お世辞にも読みやすいとは言えない文章ができあがるわけですが。書く人がエンコーダであるなら、読む人はデコーダであるわけで。優秀なデコーダを持つ人、あるいはエンコードする際に、読む人がどんなデコーダを持っているのかを想定して、文章を書く事が出来れば。優秀なデコーダは、文章はそれ自体が持つ意味を、複合化する際にもっと豊かに復元してくれる。読む人の手持ちの情報が豊かであれば、書いた文章以上の意味をそこに読み取る事が出来るわけですね。

 そういう意味では、メモを取って持って帰って、家に帰ってから書く、と言う行為は、メモを取る、と言う行為でまず一度エンコードして、それを再生しながら再度エンコードし直す、と言う行為を経ている事になります。言うなれば、記憶の2パスエンコードですね。メモそのものは、記憶を想起するためのガイドとしての役割を当然果たします。
 見た物をそのまま書くのではなく、一度思い出し、記憶の中で前後に位置づけと重み付けを与えてから、再度、文章として書き起こす訳で、この方が(完成品の出来はさておき)満足行くのは、当然と言えば当然のなりゆきでしょう。一度再構成して、落ち着いて考え直してから、きちんと「書いて」いるわけですから。

 しかして、バカロボをメモで乗り切ろう、乗り切れる、と思ったのは、一つにはバカロボが、ある程度インターバルや間を持った、メモを取る余裕を持てるイベントであること、さらにイベントそのものの長さが、一日を占めるほどのものではなかった事も、大きな要因です。短期記憶に抱えきれる以上の情報を抱え込んでしまうと、「メモを読んでも情景を思い出せない」と言う悲惨な事態が待っています。
 まして、今のバトルやトーナメントは高速の戦いです。キーボードを打つスピードすら追いつかないのに、メモを書くスピードが追いつく理由がありません。こういう展開の時は、是が非でもノートPCに頼るしかない、その場で書いたものをそのまま持ち帰るしかない、というのが状況です。

 要は場合によって、電子ノートや物理ノートを使い分けた方がいい、と言う話でもあるんですが、それ以前に、もうちょっと字を丁寧にしたって罰はあたりませんよね。はい。

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コメント

野球観戦に行くと、
プロのスコアラーさんたちは、手書きスコア9割、ノートPC1割りくらいで、どちらも必須で音声マイクを併用してます
そのエンコードとデコードについての説明は、学生のころ、就職活動で何度か面接のネタに使いました。
具体的事象⇒いったん抽象化⇒具体的な言葉による再構築、、の繰り返し
文学部でやってたことと、SEの仕事との共通点がそれくらいしか思いつかなかったので。
実社会ではまったく使えないことばっかり、大学ではやっていました。

投稿: ヨッコ | 2008.12.13 00:09

 その方々こそプロの人間エンコーダですよね>スコアラーの皆様
 音声レコーダは、記者さんが使われているのを間近で見た事があります。なるほど、その場の情報のクリップとしては非常に強力そうだ、と思いましたね-。

 僕も大学でわりと頑張ってた事は、あんまり実生活には役だっていないですね。イスラム地域文化研究なんてのは、うかつに役立たせると危険そうであれですけども(笑)。

投稿: sn | 2008.12.13 08:59

おお~イスラム文化がご専門ですか・・・!
私がやってる仕事でなら、けっこう役に立ちそうです。
イスラム系の人って、ちょっとつかめないところがありますよね。

ウズベクの学生といっしょにレストランに行って、メニューを見ながら
ウ)これは豚肉が入っていますか。
私)いいえ、入っていないと思います。
で、ウズベクの子がサラダを頼んだのですが、運ばれて来たのをよく見たら、刻んだハムが入っていたことがありました!!
私は、これはまずい!と思って気づいてないふりをしたのですが、その子のほうも、ハムの存在に気づいてるはずなのに、何食わぬ顔で食べ続けてて、、、
食べる前に豚肉が入ってるかどうか確認するのは、ただの儀式なのかと思ったんですが、どうなんでしょうか??

投稿: ヨッコ | 2008.12.16 04:12

おお~イスラム文化がご専門ですか・・・!
私がやってる仕事でなら、けっこう役に立ちそうです。
イスラム系の人って、ちょっとつかめないところがありますよね。

ウズベクの学生といっしょにレストランに行って、メニューを見ながら
ウ)これは豚肉が入っていますか。
私)いいえ、入っていないと思います。
で、ウズベクの子がサラダを頼んだのですが、運ばれて来たのをよく見たら、刻んだハムが入っていたことがありました!!
私は、これはまずい!と思って気づいてないふりをしたのですが、その子のほうも、ハムの存在に気づいてるはずなのに、何食わぬ顔で食べ続けてて、、、
食べる前に豚肉が入ってるかどうか確認するのは、ただの儀式なのかと思ったんですが、どうなんでしょうか??

投稿: ヨッコ | 2008.12.16 04:13

 まあ、さすがに10年以上経っているので、かなり色々抜けては居ますが……(笑)。当時はそれなりにあれこれ勉強したりしたものです。はい。とりあえず神の御心のままにと言うところで。

 豚肉は儀式的にとかじゃなくて、本当にダメなんだと思います。「そもそも生理的に受け付けない」って言う世界なんじゃないでしょうかねー。脂とか、豚由来の材料を使った化学調味料がイスラム圏に輸出されてた事が判って、大騒ぎになったこともありますし。

 ただ正直、見た目で即豚肉って判るかどうかって、豚肉を日常的に消費してないと判らないですよね……。なので、「気付かず食べちゃう」って言うケースは、あるんじゃないかなーと思っています。日本みたいにムスリムの人が少ない地域だと、豚肉フリーのお店も滅多にないですしね(前に行ったイラン大使館近くのお店はそうだったみたいですが)。

 兄が昔、とんかつが好物のバングラディシュ人の話をしてましたが、その人はムスリムじゃないか確信犯かどっちかだと思います。

投稿: sn@散財 | 2008.12.19 23:14

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