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2009.08.28

【読書】ミステリーの人間学(☆☆☆)

 --現代よく言われる「心の闇」とは、本来そういうものであって、安易な共感を許すものでも、容易に解析できるものでもないはずだ。
 --自分の才能の可能性に対して、常軌を逸した自信を持つか、あるいはほどほどのところで見切るか-- それが、天才と凡人の分かれ目であるとするならば、(後略)

 --『ミステリーの人間学―英国古典探偵小説を読む』 廣野 由美子 (著)

 イギリスを中心とする文学の方面から、ミステリの「人間を描き出すもの」としての側面を辿り、源流とされるヴィドックからドイル、クリスティーを経てヒルやウィングフィールドに至る、ミステリの名作が描き出す人間ドラマと、人に相対する存在としての名探偵達の姿を描き出す、とそんな感じの作品です。
 ことに、それまでの文学の中でも「犯罪を暴き出す」と言うプロットがなかったわけではなかったが、それは関わった人間の直接間接の破滅にもつながっていくものであり、犯罪を暴き立てながら自らを保全しうる、解明そのものを目的としたギミック的人間が居て、はじめて探偵小説が成り立つ。即ち、探偵役ではない探偵が登場して、初めて探偵小説と言う分野が成立し得た、と言う話は、当然のように思えて、実は慧眼だと感じた次第です。

 これはこの本の意見に非ずして、どなたの意見か忘れましたが、古典のミステリを背骨として支えているのは、隣人や他者への健全な関心と言う共通了解であって、過度に都市化が、つまりは隣人の他人化が進んだ現代の大都市においては、古流のミステリはすでに存在し得ない…… 代わりに他者や見知らぬ隣人は、「了解不能の不気味な他人」として、誰でもない存在、仮面を被った都市と大衆そのものとして、ホラーやサスペンスの主題となっていき、「他者に感心を持つ者」は、秘密を探り当ててしまう不用意な探求者か、もしくは他者の生活に土足で入り込んでいく怪物そのものになってしまうわけですが…… 私見の付け加えのほうが長くなっちゃいましたが、つまりはいにしえのミステリにあった通奏低音とは他者への健全な関心であり、それを支えるのは「あの人は普段と違う事をしている」と言う観察力、隣人と言う人間を理解し、その僅かな変調を感じ取る理解力だったんじゃないかと。まあ、つまり探偵は人間そのものを相手にする以上、それを理解しようと試みるに相違ないわけですね。
 また、これは精神分析の本で読んだ話だと思いますが、病理とはつまるところ一種の極端な状態であって、極端な状態を研究する事で、それが逆に、常態や健康体の人間の常態を理解する事に役立ちます。探偵小説で書かれるのは、殺人を初めとする犯罪です。その加害者であり、被害者である人々は、一種の極端な人間としての状態を否応無しに示す事になります。目の前で人が死んでいると言う状況で、もし平然と普段通り振る舞えているとしたら、それそのものが一つの極端なわけです。犯罪と言う異常なシチュエーションがあるからこそ、探偵小説にはよりよく人間を描ける契機があると言ってもいいわけでしょう-- そもそも、小説で与えられる状況は、たいていは極端なものです。

 古典を要領よく暖かみのある視点で纏めていると言う点で、ミステリの復習や再入門にも向いている良著だと思います。一読すると、紹介されているミステリの数々を読みたくなること請け合いです。……ただ、時々かなりの勢いで景気よくネタバレしてますので、その辺だけは重々ご注意のほど。

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