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2010.09.13

僕たちは自分を重ね着している(☆)

 円錐はその切り口によって、円にも三角形にも、その他の形にも見える。でも、実際には、その形はそのどれでもないわけです。

 人は複雑なものですが、表から見られる人の姿は、その人のいずれかの一面でしかありません。そして往々にして、誰でも他の人の意見で自分の姿がどんなものかを知るものです。
 一つの面しか覗かせず、一つの面からしか光が当たらない人は、自分自身の持つ複雑さを、周囲も、そして本人も認識することができないのかも知れません。周囲はなぜ理解できないのか? とよく口にする言葉です。
 不思議な問いです。周囲に理解できないものが、なぜ本人に理解できると言うのでしょう。

 価値観の多様化と言う言葉が叫ばれたのは、もう僕なんかが子供の頃のことで、それを考えた人はたぶん、様々な単一軸の価値観を持つ人が共存する社会を夢想したのかも知れません。でも実際に訪れた世界はもう少し複雑で、価値観は多様なだけではなく、重層化されるようになった。趣味を楽しむ自分、仕事に勤しむ自分、家族に見せる自分。誰でも多かれ少なかれ、いろんな「自分」を重ね着して生きている。いろいろな切り口を見た人から、自分がどういう人かと言われて、自分がどういう人間なのか、と言う事に気付く事もある。半面、どういう人間かと言う事を強制される事もある。

 重層性を持っている人間であれば、仕事以外のことで社会に貢献したり、自分に自信を持てたり、コミュニティの一員になることができるのであれば。まあ、あんまり細切れになりすぎるのはまずいですけども。それはたんに、趣味って言う、言いようによっては幾分か否定的な、非生産的な響きを帯びたものとは違う、何かになるんじゃないかなあ。とか思うのですよ。

 趣味と言う言葉から、非生産的なイメージを抜いた新しい言葉を、なにか考えられないかなとか思う自分です。

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