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2010.09.24

【創作】ファースト・コレクション(☆)

 ちょっと前にtwitterでどなたかが言っていた、『オッサンが少し偏屈な眼鏡老紳士で、少女が何十年も前にオッサンのお姉さん役として迎え入れられた旧型でポンコツになってるアンドロイド』って言うテーマがちょっと気になったので、ちょろっと頭脳ひねって書いてみました。
 酒飲みながら三時間くらいで書いたらこんなものかナー。とか思う出来になりましたが、公開してみる所存ですよ。

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 おおよそ人と云うものは、何かを失い、生きていくもの。
 一つを選べば一つを失う。得たものが、選んだものが正しかったか、それすら判らず他者に問うのです。ある者は神に、あるいは星に。
 どれほど昔になりますか。その夫婦は、富を選び、代わりに時間を失った。それでも息子を不憫に思い、彼等は少しの富で、愛情を買う事にしたのです。

 そう、そのようなことが、本当に出来た時代でした--。

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「……まさか、本当にぜんまいで動いている訳ではないんでしょう?」

 そう言ってしまってから、しまった、とばかりに首をすくめる。屈み込んでいた背中が振り返り、批難の-- そして彼が、自分よりも知能の低い人間に例外なく向ける軽蔑の-- 視線を浴びるかと思いきや。丸眼鏡の下の、皺の寄った目は、思いのほか人懐っこく笑っていた。

「まさか」

 初老と言うには少し過ぎた、それでも紳士だった。立ち上がり、大げさに手の埃を払って腰を伸ばす。窓から射す光に、すっかり銀色になった髭が輝いて見えた。
 高級だが無機質なはずのマンションの一室に柔らかく踊る光。分厚く色の重ね塗られた絵画。艶のある重厚な木の家具。厚い硝子の嵌った棚。時代を感じさせる調度や収集品が、陽の光に命を吹き返したように踊る。
 籐の椅子に腰掛けた、白い肌の女性が、紳士の肩越しに目に入った。半眼に開いた眼を僅かにひきつらせ、伸ばしたままの手の先が静かに痙攣していた。

「古くさい物を作りたがる人間は、どんな時代にだって、誰かしら必ず居るものさ」
「……アナログに、稼働時間を指定できる、って言う仕組みになっているんでしょうか」
「だったかもしれんが。まあ、なんにせよ、昔の話だ」

 女性の指先が震えた。

「彼女を『作った』会社が、まだ景気が良かった頃の話だからな。健康食品で一山当てて、公営カジノで手堅く稼いだ会社に、高値で買われて安値で売られる前の話だ」
「……今では、もう手に入らないのでしょうね、さすがに」
「ああ、無理かも知れんな。たとえ、金をいくら費やしたとしても」

 自分でも余計な一言だと思っていたが、帰ってきたのは、ぎろりとした一瞥でも、皮肉でもなく、溜息混じりの返事だった。今日の「先生」は、無理もないことだが、元気がないというか、感傷的だった。

 震えていた指先が、そのまま動いて籐椅子の縁を掴んだ。まるで筋肉が痙攣するかのような動作で。明らかに動力を持て余し制御しかねていると言う動作で。決して細かいとは言えない震動を発しながら、ぎぎぎぎぎぎ、と、紳士と来客のほうを向いた。
 来客が、表情の乏しい瞳に覗き込まれて、やや焦る。慣れたつもりだが、どうしても慣れない。長い髪を流した、整った顔立ちの女性だった。そう、彼女の面差しは、それと判るほど「先生」に類似していて。
 この男にもこんな声音が出せるのか、と、短くない交流をいつも思い起こさせる、あの暖かみのある声音で。「先生」が、娘と孫の中間くらいの年頃の、その女性に呼びかけた。

「おはよう」
「おはよう。調子はどうですか?」
「俺がですか? それとも貴女が?」

 陶器で出来ているような、女性の唇の端が、わずかに上がったように見えた。

「起動…… は…… ほぼ一週間ぶり。どうかしましたか? 久しぶりに、昔の話でもしたくなったのですか?」

 そこで初めて。彼女は後ろにいる来客に気付いた、と言う事になっているらしい。小さく眼を見開き、まあ、と、口の前に手を添える。その仕草をしている間も、手首は小刻みに震動し続けていた。

「私としたことが、お客様がいらしたなんて。失礼致しました。…………お目にかかるのは初めてでしょうか? この子が、いつもお世話になっております」

 ん、ん、と、「先生」が居住まいが悪そうに咳払いをした。この歳になっても、女性にしてみれば、彼はずっと「この子」のままだ。そう、本当に。ずっと、この子のまま。

「この子は小さい頃から友達を作るのが得意ではないし、時折は高慢な態度を取る事もあるかも知れません。でも、決して性根の悪い子ではないのですよ」

 震動する手を…… よく見ていると、激しく震動しているのは左手の肘から先だけで、右手はまったく正常に動いていた…… 自分の胸の上に置いて。我が子を慈しむような視線を、目の前の老紳士に送った。
 溜息をついて、諦めたように。「先生」が、呟いた。

「やめてください、『姉さん』」

 そして、ゆるく両手を広げて、『姉さん』の眼に、自分の姿をさらした。仕立てのいい背広に身を包んだ、背筋を伸ばしてはいるが、痩せた、今や銀髪の老紳士。

「俺ももう、子供ではないんですよ。……御覧の通りです。人間は、歳を取る」

 今度は眼に見えるほど微笑んで、『姉』は呟いた。

「でも、私の目には、あなたはいつまでも子供に見えるのですよ。いつまでも、あのときと同じ子供に」
「ううん、少し、画像認識補正を調整しておいた方がいいですね」

 口を挟んだ来客が、むすっとしていた「先生」にひと睨みされて黙り込み。『姉』の言葉に、なおさら唸りを上げた。

「だめですよ。すぐに拗ねるから、いつまでも子供に見られるんです」

 ね、と、悪戯っぽく、来客のほうに笑いかける。現在の環境への最適化が終わって、リソースを感情表現に振り割る余裕が出来たのだろう。と、そんなふうに考える人間も、もしかしたらいるかも知れない。
 消えることも色褪せることがないかわり、心地よく色褪せる事もない記憶。彼女からすれば、ずっと、彼は子供に。初めて会った時と同じに見えているのだろうか。「先生」が初めて会った時から。この『姉』の姿が、古びる事はあっても、決して老いる事はないように。
 話題を変えるように。首が小刻みに震えながら、窓の外に、雲に視線を送った。明度と輝度から、青空をそこに見いだして。

「いいお天気ですね」
「……一週間ぶりですからね。少し、散歩でもしますか」
「ええ」

 来客の今度のおせっかいは、老紳士に煩がられる事はなかった。目ざとく傍らの車椅子を見つけると、女性の座る籐椅子の前まで押してくる。いっそ、うやうやしいと言ってもいいほどの仕草で。老紳士が『姉』の体を籐椅子から抱え上げ、そして、そっと車椅子の上に置いた。すらりとした女性の足が、スカートから覗く。それは、だらりと垂れ下がったまま、まさしく人間には有り得ない角度にねじれたままで、すっかり脱力していた。

 そう、老いることはないかも知れない。
 だが、衰えるということはあるのだ。

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 きらきら輝く川を望む、草原の土手の上で。車椅子に座り、震えの着ていないほうの指先を持ち上げ、帽子のへりを少しつまんでいた。涼やかな服装をして、心地よい日差しの中に居る彼女は。遠目から見ても、稼働から六十年弱も経つ存在だとは、とても思えなかった。
 かつて、幼い孤独な少年に、優しい『姉』として買い与えられた人形。
 僅かな富で愛情を買う事が出来た、そんな時代の生み出した遺物--。

「……まさかとは思いますけど…… 言っときますけど。病院には、連れて行けませんよ」
「判っている」

 フン、と鼻を鳴らし、紳士が不機嫌そうに呟いた。さらに何か言い添えようとして、むせ、咳き込み、さらに咳き込み、その咳に異様な音が籠もった。
 背中をさすろうとする客の手を、やや乱雑にはねのける。

「……いらぬ、世話だ。……医者もしつこいものだ。治療法も判らんのに、入院が聞いて呆れる。どうせ治らないのなら、どこにいようと俺の--」
「で…… わからないのは、そこなんです。……なんで、その。急に、気が変わったんですか。入院する、なんて自分で言い出すなんて」
「…………」

 不機嫌そうに、紳士がそっぽを向いた。かと思うと、客が不意を打たれるほどの勢いで、また振り返った。

「そんなことは、もうどうでもいいだろう。俺は入院する。そうでもなければ、いくらお前さんでも、『屋根裏』に上げたりはせん」
「判っています。……退院されるまでの間。私が、いえ。我が社が、あの方の事を、責任を持って預かります」
「……頼むぞ。余計なことはするな」

 絞り出すように、むっつりと押し黙む。頭を掻きむしるようにして、草むらに座り込んで。その姿は、なるほど『姉』の言うように、子供のように思えていた。
 どこか羨むような視線の先で。車椅子の女性のところに。客の男が、軽々とした仕草で歩み降りていた。

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「……では、やはりそうだったんですね」
「ええ」

 涼やかな声が、客の質問に答えていた。大体は想像の通りだったが、『姉』の言葉は、疑う余地もないほど明瞭だった。

「あの子の体のことなら、少しは判っているつもりですから。定期的にデータを取得していますしね」
「それで、医者に行くように勧めて下さったのですね。そして、貴女のことを心配しないようにと、私を」
「ええ」

 震える左手を持ち上げ、自分の頬に当てる。震動が収まった、と言うよりも、顔面に吸収される。その様子を見て、客が-- ヴィンテージ・アンドロイドの修理とメンテナンスの専門家である彼が-- さっきから気になっていた疑問を、訊ねた。

「修理…… なさらないんですか?」
「足、のことですか?」
「その、手もです。交換用のパーツなら、うちでも用立てて--」
「あの子は、……どこか悪くしても、体の部品を交換したり、できませんから」

 小さく微笑んだ顔が、悲しそうに見えたのは、何かの気のせいだったのかと、あとになって思った。

「……あの子の『姉』になって、もう、60年近く経ちました。『姉』として、できるだけのことを、あの子には、してきました」

 動く必要もないその唇が動き、言葉に同期する。

「ずいぶん前に、あの子が家庭を持った時。『姉』としてできることが、まだあるかと推論しました。最善の解は『老いること』でした。もちろん、老いることはできません。ですから、代替として『衰える』ことにしたのです」
「……」
「あの子と、同じように」

 『姉』が、先程より少しだけ、スムーズに首をもたげて。土手の上に座っている、力無くしゃがみこんでいる、「先生」を視線の先に捕らえていた。
 「先生」も、たぶん。こちらをじっと見ているのだろう。と、客はなんとなくそう思った。

 だんだんと暖かみを増す日差しが、草原の土手を優しく照らしていく。
 自転車を押した少年と、日傘を持った女性が上の道路を行き過ぎていく。不思議にもその二人は、年の離れた姉と弟としか思えなかった。震える左手を顔の前に翳し、陽の光から目を庇った。

 何かを得るということは、何かを失うということ。何かを得ない代償に、何かを失わない事もできる。恐らくは、誰かにとって、かけがえがないであろうものを。
 
 見上げれば、いつか見たような青い空だった。

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