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2010.12.15

彼らはずっと、湖のどこかで。(☆)

 タツメさん事件です絶滅したと思われていたクニマスが発見された、と言う驚きのニュース。
 もちろんニュースそのものもかなりの驚きですが、いろんな面で考える事の多いニュースでした。

 まず第一に、クニマスがいたのが、別に人里離れて隔絶した山の奥とかじゃなく、普通に富士五湖の西湖であった事。「この魚」がいたことはみんな知っていたけど、ヒメマスの仲間だ、と思っていて、さかなクンが「発見」するまでは、それをみんなクニマスだとは気づいていなかった、と言う事。
 考えてみると、不思議な話で。クニマスは絶滅したと言われていた戦前から、戦中戦後にかけて、ずっと大体そのあたりに居て暮らしていた。「田沢湖にしかクニマスはいなかった、田沢湖のクニマスは絶滅した。だからクニマスは絶滅した」と言うのが、つまりは普通の認識だった。
 クニマスはいた、でも情報のインデックスからはこぼれ落ちて、「いない」ことになっていた。そのリンクを、たまたまの調査がつなげて、そしてクニマスは発見され、情報のインデックスに再登録されて、認識上、また「いる」ことになった。
 でも、そんな人間の認識がどうあろうと、今まで、ずっとそこにいた。誰も気づかなかっただけで。僕らは誰かが認識しインデックス化した、一回仮想化された世界の中に生きている。そんな感を強くします。

 今もいたクニマス。これからは、どうなるんでしょうか。漁業関係者の人は困っているみたいですが、「いっそ見つからないほうが幸せだった」などと言う論にならないよう、強く願いたいところです。

 もう一つはさかなクンのパーソナリティと、趣味と仕事という考え方についての考察。このことはまた日を改めて書きたいと思っているんですが、あとさかなクンを引き合いに出すのはかなり特殊な感じがしてどうかとも思っているのですが。プロとアマチュア、仕事と趣味、と言う区分は、今日ではだんだんとその意味を曖昧なものにしつつあるのかな、と。仕事がかつて持っていた「収入を得る」という面と「自己を実現する」と言う両面性が乖離している。もともと趣味は自己実現の最大の手段だったんですけど、それが社会的にも肯定されて、プロではないけど単なるアマチュア、自己満足の域を超えて、本来、仕事で果たしていたようなコミュニティへの貢献とか、自己実現を果たすような人が、かなり増えているのではないかな、と。ネットで言われる「~職人」みたいな人達。
 そこから収斂的にプロになる人もいれば、プロにならない道を選択して選ぶ人もいる(なりたくてなれない人はまたちょっと別だと思います)。
 こういうのをなんていうか判りませんが、いい面ばかりじゃなくて悪い面もある。露骨にもっとも悪いと思う面は、プロが尊敬されず、その仕事も尊重されなくなってしまうこと、とかでしょうか。

 後段がまとまりを欠くきらいはありますが、そんなことも含めていろいろなことを考えたニュースでした。ということでした。
 松明は、なんか遠いところにありましたよ。

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コメント

先生、さかなクンさんはプロですぜ。学術畑でこそありませんが、フィールドワークや論文はこなしてるはず。いまや准教授ですし。

投稿: KK | 2010.12.16 10:03

 そうそう。それでさかなクンを例に出すのは特殊な感じが、と言うつもりだったのですよ。ハイアマチュアからプロに転じた例がさかなクンで、そういう候補の人や、あえてプロにならない人、って言うスタンスの人ってのも、結構世間にいるなあ、って言う意味会いで。

 この話は、またまとまったら書き直していきたいと思うております。る。

投稿: sn@散財 | 2010.12.20 20:57

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