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2011.02.09

らばQ:メキシコを侮辱したとBBC放送が謝罪…でもイギリスらしく皮肉めいた文面だと話題に

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 ところで僕は人に笑われるのが嫌いだった。正確に言えば人に嗤われるのが嫌いだった。子供の頃に比べれば多少マシになったとは思うけれど、今でもたぶんそうだと思う(いい大人になったので、嗤われる機会が最近あまりないだけなのかも知れない)。

 笑いは娯楽であり、笑いは幸せを呼ぶと言う人もいる。笑っていれば幸福になると言う人もいる。しかしそういう人達の行動を見ていると、えてして、嗤いを娯楽にして、嗤うことで自分だけが幸せになっているのだ。
 嗤いは他者への攻撃なのである。世論はつねに私刑である、私刑はつねに娯楽である、と言ったのは芥川龍之介であった。
 人が誰かを嗤うのを見るのも嫌であった。あるときを境にテレビを見るのが心底に嫌になった事がある。それは、芸人が自分自身や芸人仲間ではなく、いわゆる素人や自分達のマネージャーと言う相手を笑いの対象に取り上げ始めた頃だった。
 顔も知らない人間を嗤い、その嗤いを、ブラウン管(当時)を通じて共有する。
 それが実際に身近な誰かを嗤う行為の代替になったのか、それとも助長する行為になったのかは、僕には判らないし誰にも判らないだろう。
 ただ、僕は無邪気に人を嗤う輪に入りたくなったのだ。人に嗤われるのが死ぬほど厭だったからこそ。

 従って僕は人に嗤われるのが嫌であるからして、人を嗤う事はすまいと決めた(そして誓いというものの大半がそうであるように、必ずしも守り切れていない)。
 己の欲せざるところ人に施すことなかれ、などと立派な存念を持っているわけではない。撃たれた以上、撃たれても文句を言うなと。殺そうとした以上、殺されても文句を言うな。と言うのと、同じ理屈に過ぎない。なにより、さんざん人を揶揄し、嗤っておきながら、自分が嗤われる番になると、いきりたって反駁すると言う心情が、どうしたって理解したくなかったのだ。
 自分だけはそうではない、と、一人だけいい子ちゃんになりたかったのだ。

 嗤われるのが嫌なら、人を嗤わなければいいのに?
 この理論は、逆にも作用することに、ずっと後になって気付いた。己自身が嗤われる覚悟が常に出来ている人間は、人を嗤ってもいい。あるいは、そういう人を大人と言うのかも知れない。
 少なくとも、他人の痛みに鈍感で、自分の痛みにばかり敏感な人間を、子供と言っても差し支えはないだろう。なんてことを言っていると、現役の子供に批難されそうなので、その場合は謹んで撤回します。

 つまりなにがいいたいかと言うと。
 僕クラークソンさんだいすき。

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