シャーロッキアン!(☆☆☆☆)
さて、作品のタイトルの「シャーロッキアン」とは、御存知・名探偵シャーロック・ホームズの愛好家の方々の事。その愛好はただ読む、満足する、には飽きたらず、ホームズとホームズの冒険譚、そこに登場する様々な人物・事象について、実証と議論を交わし探求する人々の事でもあります。ホームズと言う謎にめいっぱい引き込まれた、探偵気質の皆さんと言ってもいいでしょう。
これはシャーロック・ホームズの物語ではなく、そんな「シャーロッキアン」の物語です。時は原題、主人公のコンビは女子大生と大学教授。女子大生の原田愛理は「初恋の人はホームズ」と力説するシャーロッキアン。そして彼女を指導する車教授は、論理学の教授の上に、がっちがちのシャーロッキアンと言う人物。
シャーロッキアン流の観察眼で、友人や同僚達のほんの少しの異変に気付き、あるいはホームズ好きと言う評判のせいで、若干の面倒ごとを持ち込まれてしまう愛理。首を突っ込んだちょっとした出来事を、車教授の助言、先達のシャーロッキアン達の研究、そしてドイルの「聖典」の力を借り、愛理は物事を、よりよい方向へと懸命に導こうとしていくのですが……。
例えば殺人や強盗のような大きな事件が起こるわけではなく、大きく舞台が動くわけでもない。愛理の暮らす街と大学の周囲で起こる、些細な出来事を描くヒューマンドラマなのですが…… 事件にアプローチし、人物の考えを掴み、そして解決へと導くのが、シャーロック・ホームズにまつわる色々な出来事で透徹されているのが、非常に滋味深く、興味深いです。
誰もがなんとなくでも知っているシャーロック・ホームズだからこそ、登場人物達の間でも一種の共通言語となり、それを深く愛しているシャーロッキアンだからこそ、そこから(作中でも語られていますが)様々な答えを引き出す事が出来る。
まさしくタイトル通りの、シャーロッキアンが活躍する、シャーロッキアンの物語だと思うのです。
誰がどこで論じていたのかすっかり忘れてしまいましたが(確かジューン・トムスンだったと思うのですが)、ヴィクトリア朝でホームズ風のミステリが成立するのは、隣人に対する「健全な関心」があったからではないか、と言う話を読んだ事があります。お隣さんの様子がおかしい、心配だ。なにかをしてあげなくてはいけない…… 巨大化し、無関心が正常化した現代の都市では、ホームズ流の探偵は、むしろホームズ流の依頼人は、もはやありえないのかも知れない。
この物語主人公愛理は、友人、隣人への、健全な好奇心を持っている。そして押しつけにならない程度に、彼らのためになにかをしようとすることが出来る。それがシャーロッキアンとして身につけた自然な態度だとすれば、この物語の主人公に相応しいものだ、と思うのです。
秋には続きが出るそう。とても楽しみですね-。
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