« 這い寄るは知らぬ間の腐れの恐れ。(☆) | トップページ | エイプリルフール無期延期のお知らせ »

2011.03.31

なんとなく自粛してしまう人は、断食をすべきだと思うんだ。(☆☆)

 早く書かないと間に合わなくなりますけど、これは冗談じゃなくて結構本気で言っています。
 あと、これを書いた本人はたぶん断食はしないと思いますので、そのあたりはご理解頂ければと思います。

 前提として、この話が対象としているのは「なんとなく後ろめたくて自粛をしている人」です。なにかの個人的な事情とか必要姓があって自粛すべきと判断した、あるいはしなくてはならない人、または企業や法人など、心情以外の理由で自粛する必要がある場合は、全く別です。企業は断食できないですし。

 さて、自粛とは誰のためにするものでしょうか。「なんとなく後ろめたくて、旅行や飲み会を自粛している」。そう言っている方達の自粛は、完全に分ける事はできないでしょうけれども、被災者の方達のための自粛ではありません。自分自身のための自粛です。
 自己満足、とまで言ってしまっては言い過ぎですが、「なにかを我慢する」と言う自罰行為を行う事によって、「うしろめたい」と言う感情を解消しよう、とする、心的な規制、と言ってもいいでしょう。

 自罰行為は宗教ではそれほど珍しくなく見られるものですが、さりとてそれほど、日常から縁遠いものでもありません。ひいきのスポーツチームがある人なら、大事な一戦を前にして、願掛けに禁酒や禁煙をしたこともあるでしょう。もちろん、冷静に考えれば、自分が何かをしたことと、ひいきのチームの勝敗に、論理的なつながりが、あろうはずはありません。そこには純粋に心的にのみ成り立つ、因果応報の論理-- 自分はこれをしなかった=我慢した、だからそれに対する報いがあるはずだ-- があるのです。

 「自粛」は、なにかをしない、本当はしたいけどしない、と言う行為です。欲望を我慢する、と言う意味で、それは自罰行為です。それは欲望を充足できない被災地の人に申し訳ないから、自分にも自罰をしたい、と言う意味あいかも知れませんし、「心はひとつ、みんなでがんばろう」と言うスローガンを終日耳にしながら(このスローガンもこれはこれでかなり問題があると思うのですが)、「がんばる」ところを見つけられない場合に、自罰と言う形に「がんばる」を向けてしまう、と言うケースもあるでしょう。

 しかしそれは、必ずしも自発的ではない、消極的な自罰であるがゆえに、必要充分な自罰になりえません。なにかをしない、自粛する、と言うだけでは、どれだけ自粛すれば充分だろうか、と言う判断を下す事ができず、いつまでも自罰が足りない、いつまでも自粛する、と言う、自罰のスパイラルに陥る…… と思うのです。

 ならば、いっそのこと。自粛の域を超えて、積極的に自罰を降してはどうでしょうか。自分の場合は、義援金の寄付を、「自罰を下す」と言う形でも解釈しました。被災者の方のための義援金ではなく、自分自身のための義援金です。義援金のことを「免罪符」と表現した人がいましたが、少なくとも僕にとっては、非常に言い得て妙だと思います。
 ここでは別のスタイルで、「断食」と言う形で、積極的な自罰を下してはどうでしょうか、と提案してみるのです。
 もちろん、期間を予め定めて、決して健康を害しない範囲内で、一日か、あるいは三日か。それだけの日数を定め、自らに断食を-- 自粛の域をはるかに超える、能動的な自罰を-- 架すのです。そして、断食の日が開けたら、もうそれ以上、自粛のことも、後ろめたさのことも、考える事は止めにして、日々の仕事に、そして娯楽にも、迷う事なく全力を尽くすのです。その頃には、きっとできるはずでしょう。なにしろ、断食をするのは並大抵のことではないのですから。

 こう考える人も、もちろんいると思います。断食など、ただの自己満足ではないか。断食なんかしたところで、被災地の人のなんの役に立つのか、と。僕も同感です。そして考えてみて下さい。上の言葉の、「断食」を「自粛」に置き換えたところで、全く以て成り立つ、と言う事を。
 断食は被災者の方のためには、なんの役にも立ちません…… 強弁はできるでしょう、食料や水を被災地に送るために云々と。しかし、そういうことではありません。非被災者が、得体の知れない後ろめたさから逃れるためには、そのためになら、なんらかの役に立つやも知れないから。
 だからこそ、断食をすべきだ、と思うのです。もっとも、ここまで読んで、意志を汲み取って下さった方であれば。断食などする必要はないのだ、と、理解して頂けるかも知れません。

 上記の例えではありませんが、なにかを自粛しなければ申し訳ない、と考えている方は、せめて自粛の「期間」を、いつからいつまで、と言う風に、自分の中で規定してみてはいかがでしょうか。もし、それが決められないようであれば-- 真剣に考えられないようであれば-- その自粛が、本当は誰のためのものなのか、じっくりと考えてみられては、とも思います。

 昔、図書館で借りて読んだ災害の本に、非常時における宗教の役割は「惑い直し」である、と言う風に書いてあった気がします。面白い言い回しをするものだ、と思って、なんとなく覚えていたのですが。自分自身が「断食」と言う概念を持ちだしたのを見て。漠然とした(非被災地の)不安がいつまでも解消しないのは、(宗教の不在かどうかはともかく)「惑い直し」の不在なのではないか、などということを、ちょろっといろいろと、考えた次第です。

|

« 這い寄るは知らぬ間の腐れの恐れ。(☆) | トップページ | エイプリルフール無期延期のお知らせ »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/11580/51266522

この記事へのトラックバック一覧です: なんとなく自粛してしまう人は、断食をすべきだと思うんだ。(☆☆):

« 這い寄るは知らぬ間の腐れの恐れ。(☆) | トップページ | エイプリルフール無期延期のお知らせ »