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2011.07.15

幽霊狩人対大探偵:ライヘンバッハの奇跡(☆☆☆)

ライヘンバッハの奇跡 (シャーロック・ホームズの沈黙) (創元推理文庫)

 なにが奇跡って、こんな本が出版されたことがまず奇跡なら、邦訳されたことが二重に奇跡と言えましょう。
 だってカーナッキのパスティーシュですよ。いやホームズのパスティーシュにカーナッキが出ているって言う事だろうとは思うんですが。まさかカーナッキの二次創作(言うな)が見られるとはなあ。正直ありえないと思っていましたし今でも思っています……。

 のちに世界中が悲嘆にくれた、悲劇の年1891年。流浪の旅にあった青年トマス・カーナッキは、偶然にその大事件の目撃者となった。旅先で親しくなった女性アンナ・シュミットとともに訪れた滝壺で、ひとりの男が落下してくるのを目撃してしまったのだ。
 二人によって救い出された男は、一命こそ取り留めたものの、すべての記憶を失っていた。何者なのか判らないままの男に迫る追っ手、カーナッキとアンナは事情も分からぬままに激しい逃避行を余儀なくされる。
 この事件が、後年、怪奇現象に挑む探偵・幽霊狩人となる、トマス・カーナッキの最初の事件だと気付かぬままに。そして当時世界的な名声を得ていた、あの名探偵の最後の冒険に関わるものだと気付かぬままに……。

 と、いうわけで。名探偵! 以上、説明不要! なシャーロック・ホームズと、幽霊狩人カーナッキが競演すると言う夢の、ある種夢のホームズパスティーシュです。ホームズとドラキュラとか、ホームズとフー・マンチューとか変わり種はいろいろありましたが、元ネタのむずかしさと言う時点ではかなりのハイレベルを行ってると思います。
 で、まずはあれですよね。さっきから言ってるこのカーナッキって言うのは一体何なんだと。探偵らしいけどそれは一体誰なんだ、と。ざっくり言って、ホームズシリーズが大ヒットした直後に、当時のイギリスに陸続と現れた「名探偵もの」小説の主人公のひとりであります。パチモノと言ってしまうと言い過ぎですが、当時は「探偵もの」が大ヒットして、脱ホームズ流ともホームズ流も含めて、様々な書き手が様々な名探偵を想像していました。

 ウィリアム・H・ホジスン…… この人自身、なんだか相当に変わった人みたいですけども…… によって創造されたカーナッキも、そんな名探偵の一人です。このカーナッキが変わっているのは、幽霊狩人(Ghost Finder)の二つ名の通り、心霊現象や怪奇現象を取り扱う探偵である、と言う事。そして、その心霊現象がしばしば本物である、と言う事。ホームズ流の探偵では、一見不可解な心霊現象が実は何者かの陰謀や誤解に基づくもの、として解き明かされるのが常ですが、カーナッキの身辺では不可視の存在が、本当に怪奇現象を起こしてきます。それに対してカーナッキは、クトゥルフ神話ばりに古文書から得た知識と、ぞくぞくする名前の秘密兵器…… 科学の力で魔術的効果を発生させる電気式五芒星で立ち向かうのです。

 こうくると、じゃあカーナッキって言うのは怪奇小説なのかと(実際、百科辞典的小説『ドラキュラ紀元』にゲスト出演した時のカーナッキは霊媒扱いでした)言うと、そうでもない…… さっき書いたように、心霊現象が「しばしば」本物である…… のが、このカーナッキものの本当に面白いところ。霊的な現象か、と思うとさにあらず。不可解な現象が、さらにもう一回りして、心霊も何も絡んでいない、人間の陰謀の結果だったりするのが、本当に油断ならずに面白いのです。
 そのため途中まで読んでいると、同じ主人公の同じシリーズにもかかわらず、その作品が探偵小説なのか怪奇小説なのかなかなか判断がつかない、と言う不思議な状態を味わう事になるのです。ジャンル分けと言う意味では両方に足がのっかってる変な小説ですけども、考えてみれば、これは妙に冷徹でリアルな設定なのかも知れません。霊現象と言うものがもし本当に(希に)存在する世界観なのであれば、霊が実際に絡む事件が起きる確率に比べ、霊を利用した人間の犯罪が起きる確率も無視できない確率で起こりえる筈で、「心霊現象の専門家」がそういった事件に出くわす可能性は低くないと言えるでしょう。なんだか変な納得ができてしまいます。

 とにかく、カーナッキとの饗宴は、ホームズものの世界観に微妙に隠微な感じをもたらします。カーナッキが居るところ、霊は「いるかもしれない」のですから。必ずいるとも言えないし、いないとも言えない。理性で全てを明瞭に解明するホームズに比べ、カーナッキには暗闇の曖昧さがつねにある。そういう世界観的なぶつかりあいなのかと思ったこの作品。読んでみて、さらにもう一段予想を裏切られてびっくりしました。なんと、まさかのアクションに継ぐアクション、息もつかせぬジェットコースターサスペンスに仕上がっています。
 ライヘンバッハの滝での遭遇から始まる物語から必死の逃走劇、囚われの味方の救出、さらには乏しい手持ちの武器を組み合わせての逆襲と、ホームズものとは思えないマッチョっぷりの第一部。そして一転して静かな語り口で始まる第二部が、またとんでもないところに話が飛んでいって…… と、予想外の振り切りっぷり。えええ? なんでどうして? と不可解に思うところもかなり勢いに任せて展開して、終盤まで流れ混んでいきます。なるほどそうだよな、と納得するのと、いやまてそれはおかしい、とも思いつつ、勢いで押し切られてしまいます。これはすごかった。

 まずホームズものはほとんど読んでいることが前提、それに加えてカーナッキが何者なのか把握していることが絶対条件、とかなりハードルの高い作品ですが、その二つのシリーズを知っている人が想像する展開から大きく懸け離れて飛んでいくこの作品。類似のものは、あるいは二度と出ないかも知れません。興味を持たれたら読まれるべきかと思います。

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