『SUPER!』、善人と極善人の狭間は耐えられないほど些細で(☆☆)
新宿武蔵野館で見ようと思ったら深夜だけだったので、渋谷シアターNで見てきました。SUPERです。
なにかにつけてキックアスと比較されることもあり、ポップでキッチュなB級ヒーローパロディなのかとすっかり油断して思っていたら。後半見ていて、自分にグロ耐性が全く無いことに気付かされる結果になりました。……うぇっぷ。
とりあえず、キックアスとスーパーは表面的には似ているけれど、内部的なロジックが全く違う。やってることは大体似てるんで、そう見えても仕方がないんですが。
キックアスが疑似親子的な物語、父親超えの物語だとすれば、スーパーはある男の物語であり、明示的に信仰の物語でもある。クリムゾンボルトとなってしまう主人公、フランク。彼は泣きそうなほど善良な人物であり、騙しやすいよき隣人であり、なにより危険なものを内部に際限なく溜め込んでいく、社会に適応できていないタイプの善人である。
そんな彼が、もとより不釣り合いだった妻を奪われ、鬱屈した不満がいびつに信仰の確信と結びついたとき、彼は善人であるそのままで、たやすく危険な存在に。極善人になってしまうのだ。
誰が正気で、何が狂気なのか。誰かが正しくて誰もが間違っているのか。社会の中でただひとり正気な人間がいたとしたら、それはつまるところ、社会でもっとも危険な狂人ではないのか?
なにもかもがあたりまえに軽く重く歪んでいる、、善意が侮られ報われない、どこにでもあるあたりまえの世界の社会のど真ん中で。コスチュームを着た正義のヒーローになってしまった男は、受け入れる事のできない巨大な歪みとなり、あるべきではなかった方向に、破滅に、ねじ曲げていく。
割り切れない結論と、わけがわからないものが噛み切れないままの中に。まさにフランクのために悲惨な最期を遂げた人々の、無惨な死に様がただ瞼に残る。なんとも言えない、腹を殴られたような。ああ、批評家と云う人達は、きっとこういう作品が好きなのだろうな、と思うような、そんな作品でした。
見おわって、ずっとあとになって、『ケンペーくん』を思い出しました。
『ケンペーくん』を、もっとずっと薄笑いにしたような映画。そういう感じなのかも知れないなあ。と思いつつ。
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