東洋大優勝のその瞬間、4年前の12月に思いを馳せた。(☆☆)
実は僕、東洋大のOBなのです。
というわけで、たぶんここ数年。一年でもっとも東洋大がフィーチャーされる瞬間の正月2日・3日は、普通にテレビを見ておりました。
覇業を支えた無敵の柏原も、すでに4年生。世代交代を見越してチームの弱体化は避けられないか、と思っていたのですが、素人考えは素人考え。
前年の鮮烈な敗北を、きっちりとチーム全体への課題へと、そして実証可能な目標へと昇華していくことで。柏原のタイムがなくても勝てた、と言う自信は、来年もチームを強く支えることでしょう。
そしてこの独走っぷりに、ありえないほどの繰り上げスタートを強いられ、まとめて苦渋を舐めさせられた他のチームもまた。東洋大を打ち崩すべく、牙を磨いていくのでしょう。つまりスポーツおもしろいなあ! と言う話なんですが、そろそろみんな忘れてそうな話ですけど。この4年、東洋大は連覇どころか、駅伝に出られるかどうかすら、危ぶまれていたのです。
いわゆる不祥事です。4年前の2008年の12月1日、駅伝のわずか一ヶ月前。東洋大の、当の駅伝の選手が、痴漢を働いて逮捕される、と言う事件がありました。当時の、そして昨今の風潮でも。空気読んで自粛しろ、と言われるのが当然とでも言うべき空気でした。柏原選手はまだ箱根デビュー前、一年生のときのことです。
監督は部長とともに辞任し、チームは無期限に活動停止となりましたが、関東学連の裁定の結果、チームは駅伝に参加できることになりました。
大会僅か一ヶ月前の空白、監督すら空席と言う事で、恐らくチーム状態は滅茶苦茶だったことでしょう(今ちょっと調べたところでは、三ヶ月のあいだ代行を努めた佐藤ヘッドコーチは、柏原選手を見いだしたスカウトだったのだそうです)。
出場させてもらえたことに感謝の気持ちを持とう、この言葉は確か、2009年の正月に聞いたような気がします。空白の一ヶ月を超えてチームは走った。山の神の再来と呼ばれる事になる彼が駆け抜け、そして、東洋大は総合優勝を果たします。
2010年の連覇、そして2011年の21秒差の二位。それをバネにしての、今年の優勝。
僅差で負けたチームは、今までもあったでしょう。しかし、トップとわずか21秒差の二位を、痛烈な敗北、屈辱と位置付けられるのは、それ自体がすでに強さなんじゃないでしょうか。そして、その敗北を目標に転化しえた背後には。
もうあまり語られる事もない、チームが直面した、未曾有の敗北があったのではないか。そんな気がするのです。
真の強者は、むしろ敗北からこそ多くを掴み取る。来年の駅伝も、楽しみです。
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