弥彦神社の宝物殿に2,2mは眠る。(☆☆☆)
おごそかでかっこいい弥彦駅。
新潟から吉田まで出て、ここから弥彦線に乗り換えて弥彦駅に辿り着きます。おおよそ、ここまで一時間。
そもそもこの弥彦線は参宮線と呼ばれ、弥彦神社の参拝客を運ぶため、大正時代に作られた参詣鉄道でした。目的地はもちろん弥彦神社。越後一の宮です。
新潟旅行、二日目の目的地は、せっかくだから、と言う事で弥彦神社をお参りして参りました。
なにしろ近くまで来たので、と言う理由でのお参り、祭神も知らずに訪れたのですが、こちらの祭神は伊夜彦神。いやひこ神社の神様なんですが、字は違うんですね。
田や稲などの字が頻出している、併せて祭られている神様の名前を見ても、農業の守り神であることは間違いなさそうです。
駅前の案内板を見る。小雨で天候はいまいちでしたが、参拝というか観光の人は結構多かったですね。
時間はあまりないのでロープウェイは諦めて、とりあえず坂道を神社目指して登っていく事に。
なんだかすごい字の冥加屋さん。りっぱな冠にヒゲの店主と、牛似馬似の店員さんが出てきそう、と言う話をしていたのですが、もっと上のほうにあった冥加屋さんはもっと謎でした。
明訓は弥彦村にあったのか……。
道路の横の開けた場所にあった、よくわからなかったもの。
石で出来た灰色の鳥居の向こうに、若木が植えてある。この木が大きくなったら棟木にするのかな、と言う話から始まって、「念入りに魔除けとか地鎮祭をされたせいで、なんだか出て行かないといけなくなったような空気になって困っている土地の神様」みたいな話まで。ちなみに神様のうちの一柱は市役所に苦情申し立てに行きました。
ノズルを道に向けてノーマーシーに湯気を噴出させるまんじゅう屋さんの通りを通過していくと、看板に蛸ケヤキの文字が。蛸? タコナンデ? 行ってみることにしましょう。
なるほど、こりゃ蛸ケヤキですね。
樹齢およそ千年に達する、巨大なケヤキの木なのだそうです。立派也。八海山がお供えしてありました。
賽銭箱がありましたが、なんか郵便受けみたいになってましたよ。
さっきと同じ冥加屋さんが上のほうにもあったんですが、こちらも大概ロックな感じでした。
横にあった看板がこうなんですが、なにやら古い民家っぽい門構えなんですが、開いていなくて中に入れません。そもそもお食事所なのか風呂なのかもよくわからないというですね……。ちなみに、門の反対側には「開運喫茶」なるものがありましたが、こちらも詳細は不明でした。
ちなみに隣のお店にはカレー中華がありました。これはこれでよくわからない
あとで新潟駅にずばりカレーラーメンがあったので、多分同じようなものなんでしょう。
そしてあれこれしつつ参道に辿り着きました。こちらでは多い形式なのか、アウトリガがついた立派な鳥井です。
モータートリイが制圧するために実際動き出すのではないか、と言う話をたちまち始めるこの忍殺脳と言ったら。関連があるかどうか判りませんが、石灯籠も四つ足で設置しているものが多かったですね。あれは不思議だった。
そこからふと、真横の川のほうを見ると、なにやら橋だけど橋っぽくない形をしたものが。あれは一体?
これは…… 確かに橋ではありますが、実用の橋ではありませんね。階段があるでもなく、急激な曲面。そもそも川の両端につながっていません。
どうもこれは、神様の通り道的な橋のようで、つまるところ概念橋のようです。納得して戻る。
そして再び、赤い不思議なもの目撃。これは当地で開発された、石油蒸留釜なのだそうです。
二機しか現存しないうちの一つなのだとか。非常に綺麗に展示されていました。
そして登り切ったところに現れた、弥彦神社の拝殿。
白く靄のかかった森と山を背景にしたその姿は、なるほど、山に力あり、と昔の人が信心するのは当然のことだ、と言う畏怖に満ちあふれておりました。敬礼。
お札や朱印状に目を奪われつつ、お神籤を引いてみることに。大吉なのにそれぞれの案件に付帯条件がつけられていて、紅崎さんが嘆いておりました。
マッシブな狛犬。かっこいい。
もうひとつ目立つ狛犬があったのですが、そちらはなんていうか、だいぶデフォルメの効いた、まるいかんじの狛犬でした。あっちはずいぶん可愛い感じ。
江戸時代に建造された、茅葺きの神社。古さは感じますが、かなりがっしりしたもの。
軒下の構造などがかなりユニークで、これが当時様式のようです。
さて、帰り道に(僕は行きの時点ですでに引っかかっていた)宝物殿にお伺いするものに。ここがまた、非常に興味深く面白いものでした。
撮影の許可は頂いたものの、blogに乗せるのはちょっとどうかと思ったので、写真は見合わせますが、二階で展示されていた日本刀の数々が圧巻でした。もともとこのあたりは名工の多い地域。土地のゆかりの刀鍛冶の作り上げた、さまざまな日本刀や脇差し、珍しいところでは槍の穂先や龍が刻印された短刀。さらには昭和56年製の奉納刀も。鮫革に金属光沢のある鞘、肉厚でエッジの立った刀身と、まるでアンティークライフルのような趣きと、近代工芸品のシャープさが共存した、不思議な武器でした。美しかった。
さらにはもっと珍しいものも展示されています。
そのうちのひとつは夷式の剣。昔、越後に襲来した蝦夷を弥彦神社の神官が撃退した際に、戦利品として手にしたもの…… と伝えられるもので、確かに日本刀とはまったく異なる、大陸様式の直剣。まったく反りのない剣で、根本には流れ止めの紐を結びつけるためなのか、輪型の飾りがついています。なるほど、中国風か、十字軍が持っていたような剣のようですね。由来がそのとおりなのかは判りませんが、これは不思議な。
そして圧巻は、奉納用の長大な大太刀。もちろん最初から奉納目的で作られたもので、実戦用ではないのですが、かなり引かないとカメラのファインダーに収まりきらないくらいの長大かつ美麗な刀の迫力は、それはもう相当なものです。
二階が刀剣類の展示室なのですが、上がってすぐそれが目に入る。それはもう相当な迫力で、一気に惹き付けられてしまいました。
さて、一番奥にはさらなる宝物室があるのですが、そこにあるのは室町時代に奉納された、もっとも大きな奉納刀がありました。
その名も志田大太刀。重要文化財。その刀身の長さたるや、実に2.2m。長すぎてなにがなんだか判らないくらいの代物です。ちょっと恐かったのは、他の奉納刀に比べて、この大太刀、なんというか作りが質素と言うか。儀式用にしては素っ気ない感じがするところです。まさか…… まさかこれ。
「軍事パレートとかで、示威用に使ったんじゃないですかね」と言う説を自分で持ち出したものの。そのころ、ようやく脳裏を過ぎったのは、言うまでもなくスラムキングでした。こらもうなんだ、馬ごと真っ二つ。納得。
ところでこの宝物殿、もうひとつ、すごいけどなんでここにあるのかよくわからないものがありました。
歴代天皇陛下の肖像画が並んでいる、肖像室です。あとから判ったのは、当地出身の佐川急便の会長が奉納したもの、とのことでした。ただそのときは、なぜここにこんなものが!? と戸惑いながら見ていたものでした。服装に時代が出る、と言う話と、女帝と言うのは古代の話だけかと思っていたら、江戸時代のかなり最近にもあった、と言う事を知り、知らない事は多いなあ…… と驚きしきりでありました。
弥彦神社に行かれたら、宝物殿はぜひ見られるべきだと思います。諸兄もぜひぜひ。
宝物殿を堪能し、弥彦神社を辞する。ちょうどお昼時だったので、(さきほどの狸とかカレー中華とかにも悩みつつ)結局一番お宮に近いお店に入ることに。
強烈なキャッチコピーに引かれ、ついうなぎ山かけ丼を注文。それも三人とも。なにやってんだか。
向かいのお土産屋さんというか酒屋さんがいいところで、あれこれお土産を買ったりしたのち、新潟へ帰還。
市内にいた風波さん達と合流し、またお土産をあさったりしたあと。山形へ戻る烏羽さんと別れ、新幹線に乗る我々。
このあと解散…… の前に。
東京駅地下のBarbarにて、もう一席。
そんなこんなで。日本酒ではじまり、ビールで締めた新潟酒飲み旅行記、前後編のとりまとめでありました。
なんか変なお菓子の話は、まあ、またこんど。
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コメント
2.2mの刀に反応されたのでしたら、是非鹿島神宮の宝物殿へ。こちらにもバカでかい刀がございますよ。奉納刀ですが、実用の跡があるそうで……。是非是非。……都内からだと意外とかかりますけれども……。
投稿: KK | 2012.03.20 22:40