中央を走るもの。(★)
これは、また、と言うべきだと思うのですが。
京都で悲惨な自動車事故が起きた事について、被害者のご冥福をお祈りします。
自動車事故って言うのには、もちろん色々な要因があるんでしょうけども。起きた事故はほとんどの場合、運転していた個人の責任になるんですよね。
それは要するに「免許を持って運転しているから」って言う事だからと思うんですが。それは個人に対しての免許じゃなくて、社会に対しての免許になっていないか。って言う気が、なんとなくします。事故が起きても、明らかにメーカーの責任ではないかぎり(車の一部が離脱して事故を起こすケースなど)、どんな大規模な事故が起きたとしても、それは運転者か、運転者を使用していた会社の責任に帰する。
リコールなどの構造的な欠陥、信号や歩道などの整備不足などのインフラ的な問題を除けば、自動車事故の責任が、自動車会社や交通行政の責任になっているケースと言うのは、どのくらいあるんでしょうかね。僕があんまりその分野に興味を持っていないので、耳にしないだけと言う分もかなりありそうなのですが。
でも、事故の責任は、過大に個人に乗せられているような気がするのです。そして、個人のモラルと言う脆くあてにならないものに、あまりにも期待されている気がするのです。
飲んだら乗るな、と、どれだけ繰り返したところで、乗る人は乗る。それなら、「飲んだら乗れない車」を作ってはくれないものなのでしょうか。売れてくれないものでしょうか。
自動車大国であり、技術立国であるのですから。例えば。アクセルとブレーキを踏み間違えない(あるいはそうしにくい)車とか、運転者の意識レベルを監視して自律的にコントロールする車とか、そういうものを本腰入れて実用化してくれないのかな、と、時々思います。
運転する人に問題があったとしても、事故を起こさない、起こしにくい、起こしたとしてもその原因を究明しやすい車。そういうものを可能にするのは技術であり、そういう技術が普及するよう誘導していくのは社会である、と言う気がするのですが。
見えない放射能が恐くないとは言いませんが、見える車も同じくらい恐い。
生まれた時から見ているから、気にならないけど、とんでもない重量の鉄の塊が、とんでもないスピードで、道の真ん中を我が物顔に突っ走っていく。もし宇宙から、地球のことを何も知らない宇宙人が都市を見たとしたら、自動車がこの星の支配種族であり、僕達人間は自動車に奉仕する種族に見えるやも知れません。
乗っている人の安全も完全、まわりの人の安全も万全。
技術が張り切ってそんな車が作られ、社会の気運に乗って飛ぶように売れる。そんな社会になりますように、と思いつつ。
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コメント
実際、飲酒運転厳罰化以来、その手の開発も進んではいるようですね。
とは言え、詳しくはないですが、そう言った事故を起こしにくい車両を開発したところで、売上に繋がりにくいような気もしますねえ。そこを政治が後押ししてくれるといいと思うんですが。「環境格付け融資」みたいな感じで、安全により配慮した資金援助とか。
投稿: 烏羽 | 2012.04.14 21:40
研究の方は着実に進んでいる、と言う話はときどき耳にしますよね。あとはほんと、どう売れてくれるか、って言う話になってくると思います。
「事故を起こす車よりも、事故を起こさない車を」はやっぱり政治主導なんだろうな、って言う気はしますが、地デジの時みたいな事になりかねない気も懸念ですよね。
ここは自動車会社とかの宣伝とかキャンペーンに頑張ってほしい気はします。買い換え需要を強制的に喚起する、的な。
……アメリカのベンチャーが「事故を起こさない車」をぱきっと開発して、それが入ってきてスタンダードになっちゃったりとかして。
投稿: sn@散財 | 2012.04.15 10:05