「ロボット」、異邦人が異邦人を見るとき(☆☆☆)
スーパースター・ラジニ様主演の痛快SF娯楽大作、その名もずばりそのまま「ロボット」! ちなみに原題もROBOTを見てきました。
かなり前に外国での予告編を見て、うわあすごい変だこれ見たい! と思って見に行ったのですが…… これがなかなか、意外にも侮れない、考えさせられる事もできる映画でありました。
いやまあ、実際に見所は、聖マッスルの人間城か、「みかけはこはいが」か、と言いたくなるような、ラスト間際のアルティメット組体操バトルなのですが。それはそれで超絶すげえので、そこはマスト見て下さい、として。
話の筋は、なんていうか基本に忠実でシンプルです。
バシー博士はインドの誇る天才ロボット工学者。恋人サナにも愛想をつかれそうになりつつも、彼は一つのプロジェクトに打ち込んでいた。驚異的な学習能力と判断力、圧倒的な運動能力を持つ、人間そっくりのロボット…… アンドロイドだ。
バシー博士そっくりに作られたそのロボットは「チッティ」と名付けられ、バシー博士やサナを振り回しながらも、社会デビューに成功。学会に大絶賛で迎えられ、突発的な事故にも対応したチッティに、バシー博士は恩師・ボラ教授の指摘に従い、感情を教え込む事にする。しかし感情を知ったチッティは、創造主チッティの考えに背くようになり、サナに思いを寄せるようになる……
と言うような感じで、だいたい皆さんが想定されるような内容だと思うのですが。この作品で、たぶん意図せずして面白いと思ったのは。社会に…… 「インドの社会」に、いまいち巧く溶け込めないチッティの行動を、さらにインドの社会になじみのない、外国人である僕の視点から見ていること、その二重のズレの感覚でした。
当たり前ですが、チッティを作ったバシー博士はインド人であり(インドのどこかは明確ではありませんが、パンフの解説を読むと南のほうと取るべきなのかも知れません)、彼はインド社会の規範に従うよう、チッティを作りました。その博士の要求に今ひとつうまく答えられないところに、この映画のズレと言うか面白さがある、と思うのですが。
インドの人からすれば、自明のチッティの「わかってなさ」の視点に、外国人の僕らの視点はむしろ近い。どっちかと言うと、チッティの行動の方が当然…… と言うか、合理的(まあロボットだからってことなのですが)に思える。でも、そのチッティの取った「合理的」な方法は、インドの社会には馴染まない。その結果は、人の命にかかわるほどの結果になってしまうのです。
それは、僕の目から、そして恐らくチッティの目からしても、そんな! と思う展開なのですが。すくなくともインドの観客からすれば、それは当然そうなるべき結論なのでしょうと。
そもそも、バシー博士がチッティを作った目的…… 目的そのものではなく、その目的に対する、実にフラットな態度が…… ある種の衝撃でありました。
話し出すときりがない…… 個人的には、感情を教え込むシーンで、データを流し込むのではなく「体験を積ませる」のが実にいい感じだと思うのですが……。
例えば、ロボットに感情を持たせるとか、理性を持たせるとか、善悪を判断させるとか。そういう話は、結局、そのロボットの所属する社会や集団に属するしかない。ある集団の価値感に従って作られた(そして人間の集団に属する限り、不可避的にそうなるでしょう)ロボットの持たされた価値観は、別の価値観を持つ集団からすれば、奇異であり、非人間的でさえあるのでしょう。恐らくは「ロボットである」と言う理由で。
そしてむろん、ロボットがロボットたる価値観を持つ事は、すべての人間にとって迷惑な事態と見なされてしまうのでしょう。そういう人間とは全く異なる知能セットこそ、ロボットのいつか向くべき道だと思うのですが。
そんなこんなで。うまく説明はできないのですが、思うところ意外にも、かなり意外にも大だった映画でした。
でも基本的には滅茶苦茶オーバーフローな展開で、ダンスもこれでもかとやってきてくれるので(これでもかなりカットされているらしいですが)。天井の抜けた娯楽としても、お勧めであります。かなり疲れますので、そこだけはご覚悟を。
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