セクシィ仏教、あるいは救いのセーフティネット(☆☆☆)
二度見どころか三度見くらいするほど強烈なタイトルですが、中の内容は(田中圭一先生の挿絵まで含めて)案外に普通。
欲求を断つことを、目的のための手段とする仏教が、決して断つことのできない人間の欲求、ことに性愛に関する欲求と、どのように折り合いをつけようとしてきたのか。インドで、そして日本で、経典や仏教説話に語られたエピソードを通じて、そのあたりを掘り下げる…… と言うか、さらっと紹介していきます。
大雑把な仏教史の流れや、仏教界の巨人達の(性愛にまつわる)意外なエピソード、そして日本化した仏教の特色までを、色欲にまつわる色々な悲喜劇を通じて描いていきます。お気に入りのエピソードの「弁天様(または吉祥天女)の三行半」が入っていたのは、個人的に嬉しいところ。あれはひどい話だからなあ。
思うに、堕落と大衆化は表裏一体であり、多くのものを受け入れようと思えば、清濁併せ飲む覚悟が必要になる。積極的になのか、あるいは時勢に押されてやむなくなのか。時を経て生き続けてきた伝統的な宗教は、そういう振り幅の広さ、救いのセーフティネットを広げる努力を続けて来て、だからこそ今日まで生き延びてきた。
そして、それが行き過ぎれば。反作用としての純粋化、精鋭化が引き起こされる。内部で自己矛盾を削り落とし、外と衝突しながら、どうにかこうにか、世界と折り合いをつけて生き延びてきた。そんなふうな努力と矛盾解消の積み重ねが、いま今日の宗教というものなのかも知れません。
僕らは心のどこかで、信仰を持っていない事への優越感、無信仰への狂信と言うべきものを抱いているのかも知れません。宗教は不寛容だと、ドグマのように繰り返しながら、あらゆる宗教へ…… 無信仰の視点からの異端への…… 不寛容な態度を取り続けているのかも知れません。そうではないのかも知れませんが。
人の態度が不寛容に見えるとき、それを見る人の態度もまた不寛容なのかも知れません。
自戒重々。
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