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2012.06.13

因果と応報(☆)

 『--人が人を許す事なんて、本当はありえないのかも知れない。
 でも、人は忘れてしまう。どんなひどい目に遭わされても。いつか、それを忘れると言う事ができる。
 もし忘れる事ができないとしたら。許されないとしたら。辛さも、憎しみも、いつまでも薄れることがないとしたら。
 それでも、人は人を許せるものなのだろうかね。』

 なぜ刑罰があるのか?
 ライオンに食わせたりとかしてた古代はとりあえず置いておくとして。近代刑法における、刑罰の目的は大きく二つ。ひとつは罪を犯した人間を一定期間隔離し、教育や訓練を施し、また道徳的反省を促す事で、刑罰の再発を防ぐ、と言う教育刑論。
 恐らく、大部分の人にはもう一つの方が判りやすいでしょう。すなわち、罪には罰を-- 犯罪を犯した者には、それ相応の罰が下されるべきである、と言う、罰は罰として正しい、とする応報刑論です。
 応報刑の歴史は古く、それこそ最古の法典のひとつであるハンムラビ法典にも、「目には目を」の有名な文句とともに記されています。

 罪のあるところ、罰がある。法を破れば、罰が与えられる。非常に明快で判りやすい考え方です。
 しかし、この「罪」とはなんでしょう。はしょってしまうとそれは、国家が(立法府が)罪として定めたものが罪なわけですが。それにしてもその法を定める際にも、また運用する-- つまりは裁判を行う-- 際に、根拠となるものが必要となります。
 つまるところ、その法律は何を何から保護しようとしているのか? その法律を守る事によって、誰の何が守られるのか? と言う事であり、大雑把にそれらは法益と呼ばれるものになります。
 もうちょっと細かく言うと、法益と言うのは、「その法律が行われる事により、保護される権利」と言う事になります。

 極端な例で言えば、殺人罪では、人を殺すと罪になります。これは殺人罪が保護している法益が「誰かの命」と言う事になります。これは裏から言うと、殺人罪は、人間の持つ「他人を殺す権利」を規制している、と言う言い方もできるわけです。
 そんなこと言ったって、誰だって殺されるのはイヤなわけですし。「生きる権利」のために、「他人を殺す権利」を規制する事は、個人のためにも社会のためにも、そのほうがいいです。
 そんなわけで、殺人罪はなぜ罪なのか? と言う問いには、生命と言う法益を侵害する罪だからだ、と答える事ができるわけですね。

 単純な問題に思えますが、これは実地には、簡単に割り切れない、色々と複雑な問題を孕んでいます。
 これは大学の時にゼミで議論した問題なのですが、生きる権利が個人だけに帰属するものなのなら、自分に対する殺人は…… 自殺は、法益侵害という観点からすれば、殺人ではなく、翻って有罪ですらないのではないか?
 緊急避難の問題も、もちろんあります。拳銃を持つ男が女性の頭を撃ち抜こうとしているとき、警官が彼を撃つ事は殺人罪になるのでしょうか。それとも「女性の命」と言う別の法益を保護するために、彼の罪の違法性は棄却されるのでしょうか? 男が持っているのが拳銃ではなくナイフだったら? 鉄パイプだったら? 女性ではなく、屈強な大男だったら? 死刑を執行する刑務官にとっては?

 近年、凶悪事件が次々と起こるに従い、刑罰に対する厳罰化を求める傾向は日増しに強くなっていると言う意を強く受けます。しかしながら、厳罰が凶悪犯罪を抑止しうるか、と言う問題に関しては、楽観すべきものではない、と言う意もまた強く受けます。
 人間は誰でも、潜在的な不死を信じている、と言う言葉があります。
 どれほど厳罰化が行われても、自分には無関係である、自分には無縁である、と言う考え方と、たとえ罪を犯したとしても、自分だけは無事で済むだろう-- と言う考え方は、刑罰の非リアル化と言う意味で、非常に似通っているのではないか、と言う、なんともいえない不気味さを感じるのです。因果なき応報、と言うべきでしょうか。

 その一方で、このあいだニュースで小耳に挟んだのですが、裁判員裁判においては、麻薬の密輸-- 当人が意識せず、運び屋として利用されると言うケース-- が、無罪になる、と言う事例が、裁判官による裁判の時代よりも、有為に増加しているのだそうです。
 考えてれば、判らない話ではありません。自分もいつか関わるかも知れない、自分も『加害者になりえる』。『そんな犯罪は無罪にしたい』。見ようによっては、まぎれもなくこれは、刑罰のリアル化でしょう。応報なき因果、と、こちらは言うべきなのかも知れません。
 そして、刑事罰が…… 少なくともその運用が…… 緩いと判れば、違法薬物の運び屋に日本人を使おう、と言う手は、恐らく増えるでしょう。その結果持ち込まれた麻薬や覚醒剤は、いくばくかの手段を経て、誰かの手に渡るでしょう。それを心底、必要とする人達のところへ。

 そしてあるいは。いつかの、ある日。それは、どこかの大通りで。

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