「伏」、野蛮な問いには野蛮な答えこそが相応しく(☆☆☆)
先日、原作版のほうの「伏」の感想を書きましたが、こちらは劇場版アニメのほうの「伏」。見に行って参りました。
結論から言うと………… 面白かった! かなりいい意味で裏切られた感じでした。
思うにこの劇場版、評価が大変に二分される作品じゃないかなと言う気はします。原作が大好きだった人にとっては、恐らく非常に不満の募る作品じゃないかな、と。逆に、原作にいまいちな感想を、消化不良や説明不足を感じた人間にとっては、そうそう、これこれ! と膝を打つ映像化だったんじゃないかな、と。
原作を読んでない人が、アニメ版だけ見てどう思うのか、と言うのは、なかなかに興味深い話ではあります。
あらすじは小説版と、少なくとも出発点においてはほぼ同じ。
二人暮らしていた祖父を亡くし、山にひとり暮らす娘猟師の浜路。彼女が決意し山を下りる事にしたのは、都に出た兄・道節からの、誘いの手紙がきっかけだった。
初めての人里、初めての大江戸大都会に。道行く人々の騒音と圧力に、戸惑い圧迫される浜路。押され流され、偶然彼女が目にしたのは、人とも犬ともつかぬ、六つものさらし首。江戸を騒がす謎の獣人、「伏」の首。
時の将軍・家定は、この「伏」に異様な興味を示し、懸賞金をかけて駆り出していたのだ。八匹組と噂される伏、残る首はあとふたつ。道節が浜路を呼び寄せたのも、まさにこの「伏」を狩り、懸賞金と仕官との為だった。
道端で大喧嘩を演じる狐面の青年・信乃。なりゆきで喧嘩に巻き込まれた浜路は、彼の案内でようやく兄の住居に辿り着く。
道節の計画に従い、浜路の伏狩りがいよいよはじまる。狩場は大江戸、獲物は鉄砲。しかし狩られるものは、伏は、彼女が山で知るどんな獲物とも違っていた。狩る者と狩られる者が、人の言葉を交わすとき、正邪、真贋は、確かに歪む。しかし抱かれた迷いなどに、おもんばかる理由もなく。壮大な罠はその口を大きく閉じようとしていて--。
面白い小説の面白さって言うのは、それこそ小説のぶん書く人のぶん読む人のぶんくらいあるとは思うのですが。やっぱりこう、いろいろタイプってあって。割り切れて面白いタイプの小説と、割り切れないけどでも面白いタイプの小説、ってあると思うんですよ(同じ割り方で「面白くない」ってのも当然ありますけど、それはおいといて)。
割り切れないけど面白い、って言うのは、なんかこう、読んだ後よくわからないもの、わだかまりみたいなものがごちゃごちゃっと残っていて。それをどうひねくりまわすかとか、読んだ方がそのよくわからないものに、どう好きなように意味づけをしていくか、って言う、ちょっとひねた面白さがあるんじゃないかな、と。
絵で言うと、カラーまできちんとついた絵じゃなくて、塗り絵って感じですよね。好きなように色をつけていいし、色をつけないと完成しない。なので、塗り絵のつもりのものに(あるいは塗り絵じゃないつもりのものに)「これ白黒じゃん、未完成じゃん」って言うのは、書き手と読み手の需要と供給が一致していない不幸な感じなんじゃないかな、と思うのですが。
それはともかく、原作の小説は、このごちゃごちゃした割り切れないものが、割と多めにあるタイプの小説だったんじゃないかなと。その「割り切れ無さ」こそが魅力だって言えば言えるし、僕はわりと駄目な方だったんですけも。ともあれ、そのまま映画化すると、わりと手酷い事になるパターンだな、と思っていて、僕はあれこれと不安を抱えていったわけですけども。いや、これは杞憂でした。
キャラクターの設定の変更や、ビジュアル的に派手なほうへの改変など、原作からの設定の変更は枚挙に暇がありませんが…… 大きなところでは、「伏」が、ともかく見かけ上はただの人間だった原作に対し、リアルに獣化すること、また死体も獣化するらしいこと(さらし首のシーンにあるように)。また、人間の生魂を食らう、と言う設定が付け加わり、伏が人間を襲う事に、彼らなりの事情が付与されたこと。
登場人物では、「伏」が八匹、とすでに語られていること。作中で狩られていく伏のほとんどが、すでに死亡している状態からのスタートとなっていて、生存している伏が、信乃も含めてふたりしかいないこと。
メインキャラですと、まず滝沢冥土が女の子になっていること、船虫が原作とはかなり違う立ち位置になっていること。そして原作にはまったく登場しない、賞金稼ぎの馬加、将軍・徳川家定が、重要な登場人物として追加されていることなどなど。……これがまた、ちょっとしか出てこない新規の登場人物の台詞のやりとりの、短くもぐっとくることと言ったら。名前もないし原作にもいないキャラクターのくせに、みたいなこう。そういうシーンが。
とはいえ、この変更はどれもなかなかにぴたりと嵌っており、原作よりも登場人物同士の動きや絡みが、綺麗に嵌っている感が非常にあります。
そしてたぶん、この綺麗にはまっているところが、駄目な人は駄目なんじゃないかな、と思うのです。
原作でも映画版でも、伏の存在そのものが放つ野蛮な問いは、おそらく同じものです。原作ではそれに、繊細な考察を積み重ねて、答えに近付こうとしている。そうしようとしているところに。アニメ版は、無造作といっていい位、野蛮な答えを、「答え」として打ち込んできます。
これがいいのかどうか、かなり解答が別れるところだろうとは思うのですが。そして駄目な人はどうしても駄目だと、文学を通俗にしてしまった、と言うようなことを、言われかねない処だとは思うのですが。
浜路と言う、状況を打ち破り、行動を是とする主人公が辿り着く答えが、野蛮な解答であることは。これがアニメであり、小説とは違うもんなんだ、と言うのを踏まえても、実に正しい事なんじゃないかな、と思うのです。
そのほかの、作中のサイドの登場人物達の物語を見ていても。この劇場版は、登場人物の抱える様々な対立や葛藤に、まがりなりにも答えを与えて、解決に導いています。それはもちろん浜路の、信乃の。あるいは冥土の、道節の、はたまた家定の物語についても、そうではないかな、と。
きちんと因果の果を閉じた物語。終わりにより、終わる物語。
どちらかと言うと、原作がすんなり入ってこなかった人向けのアニメ化作品。そんな印象を受けたこの伏でした。
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