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2013.02.03

あるいは慣行と言うものの生まれた瞬間。(☆)

 最終的にどうなったのかは判りませんが、僕が立ち去った時には。そこには数枚の十円玉がありました。
 なるほど、「どういう理由があるのか判らないルール」って言うのは、こういうふうに生まれるのかな、と思いつつ。

 日曜日は用事があって、まるまる一日出張っていたのですが。行き先の建物に、コーヒーとかの自動販売機がありました。缶のほうじゃなくて、紙コップに注がれて出て来る、あっちのほうです。
 ここに来ると、いつもお世話になるこちらの自販機。寒いし疲れるし、これがないと起きてられないですわー。などと思いつつ、神様のお恵みであるところのコーヒーを頂く訳なんですが、この自販機、隣にはカップのリサイクルの装置があります。
 紙コップをちゃんと入れると回収されて、10円戻って来るって言うあれです。ジュースのビンみたいなもので、って言うと、今時却って判りにくくなりそうですけども。

 ともあれ、コーヒーを頂きまして。いつものように紙コップをリサイクルに入れようと思ったら、なんだか機械のフタがあけっぱなし。見てみると、紙コップを逆に突っ込んでる人がいたようです。たぶん悪戯とかじゃなくて、普通にフタが閉まらなかったので諦めたんだと思うんですが、いやーそれにしても、この向きではさすがに入れないだろう。と思いつつ、ひょいとコップを外して上下逆に。機械に入れてフタをぽすん。うん、機械はちゃんと動いてる。紙コップが回収されて、10円が出てきました。続いては、自分の空の紙コップをとすっ、ぽすん、ちゃりんと。正常正常。
 正常、なのはいいんですけど、はて、と小首をかしげて。自分のぶんの小銭はいいものの、こっちの逆向きの10円はどうしたものかと。
 1円を笑う者は、とは世間ではまま言いますが、10円はお金とは言え小なりき。かつ、小なりとはいえお金。二重の理由で、持っていくのはなんか抵抗があります。結局、カップを逆に突っ込んだ誰かがまだそのあたりに居て、自分の持つべき10円を持っていく、ってこともあるだろうと。そんなふうに思って、そのままにしておきました。

 さて、びっくりしたのはここからです。用事のためにその場を離れ、一、二時間してから戻ってきて。ふと、さっきの自販機の前を通って、はて、そういえばあの10円はどうなったかな。などと、悪戯心を起こして、ちょっと覗いてみた、というか、覗こうとしたのですが、そこでびっくり。覗くまでもないくらい、たくさんの10円玉がそこに溜まっていました。
 え? と言うのが、正直な感想。つまるところこれは、僕が去ってから何人かの人が、カップをリサイクルに入れて、そのまま10円玉を置いていっている、と言う事に他なりません。まさか財布からわざわざ10円玉を出して、そこに置いていく人もいないでしょう。お賽銭箱じゃあるまいし。
 もちろん、そこに小銭を置いていってください、と言うメッセージがあるわけではありません。しかしながら、出てきたデポジット分は持って帰って下さい、と書いてある訳でも、考えてみればありません。
 戻ってきた10円、それを持って帰る、と言うのは、言及するまでもない自明の話であり、わざわざ書くほどの事ではないのです。なかったのです。さっきまでは。

 カップを入れて、リサイクルして、10円が戻って来る。おつり(と言うのは違いますが)に10円が出て来る。取ろうとする、そこにすでに10円玉がある。すると、恐らくその人はふと考える。この10円は「持っていってはいけないもの」ではないのか? この自販機には自分の知らないだけの、なにかしらの暗黙のルール的なものがあり、この10円は置いていくルールになっているのではないか? と。例えばそれは、ペットボトルのキャップを集めるような、リサイクルに連動した、一種の寄付的なものとして存在しているのではないか?
 10円、と言う金額が作用するところも大きいのだと思います。10円を持っていって、なんらかの恥をかく可能性のリスクよりも、勘違いや忘れ物と言う恰好を取る事でその場に置いていくほうが、ずっとリスクが少ないのではないか?
 あるいは、その場には、僕を見ていた人がいたのかも知れません。僕がカップを機械に入れて、10円玉をその場に置いていった(少なくとも1枚は置いていったわけで、客観的にはそう見えておかしくありません)のを見て、「この機械から出て来る小銭は、なんらかの理由で置いていくものなのでは?」と判断した、としたら。

 そして、10円玉が2枚になる。こうなると、次に来た人の天秤は、大きく傾いた状態からスタートします。その人も、その次の人も、きっと10円玉をそこに置いていくことでしょう。
 「なんだかよくわからないけど、そうすることになっているらしい」。その説明が不十分だと判断された場合、きっとおそらく、現象から逆算で、「理由」と「原因」が考え出される事でしょう。

 ……自分が原因と言えば言えるし、人に迷惑をかけていないかと言われると、若干ながらかけてはいるので、なんとも偉そうになんか言うのは憚られる気はするのですが。
 でも、なんていうか。「誰が作ったのか判らないルール」って、きっとこんなふうに自然に発生して、きっとそのうち手がつけられないくらいに大きくなるんだろうな。と、そんな風にちょっと思った出来事でありました。

 たぶんあの10円玉は、お店の人に回収されて、伝統はそこで途切れるんだろうな…… と思います。
 そうであっていてくれてほしいです。

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