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2013.04.07

ふたつの新潟・私録沼垂新潟興亡記【北越戊辰戦争~「新発田に嫁をやるな」】

 かくして天領となった新潟ですが、言うまでもなく時代は幕末です。ほどなく日米修好通称条約が結ばれると、開国五港の一つに選ばれ、税関が築かれるなど、開港の準備が進むこととなりました。
 しかし、新潟港はもともと水深が浅く、外洋航海を行うような大型船が入港するには不自由な状態。そのおかげで、開港は明治初年までずれ込みました。
 開港が遅れたのには、もうひとつ理由がありました。それは言うまでもなく、ほどなくして日本で勃発した内戦、戊辰戦争の開戦でした。

 明治維新の武力革命、戊辰戦争。その戊辰戦争の一戦線として越後で争われたのが、北越戊辰戦争でした。この戦争の一方の主役が、長岡藩であり、そして新発田藩でした。
 鳥羽伏見の戦いに勝利し、佐幕派の総本山・会津藩を攻撃目標として進撃する新政府軍。迎え撃つのは、佐幕派の会津を中心とする東北の同盟軍、奥羽越列藩同盟。
 この戦闘で矢表に立ったのが、戦闘に先だって武装中立を宣言、新政府軍と列藩同盟の仲介を試みるも決裂し、最後に同盟に参加した長岡藩でした。
 長岡藩と新政府軍は、根拠地・長岡城を奪っては奪い返される攻防戦の末、中心人物だった河井継之助も負傷し撤退。すでに制海権を確保していた新政府軍は、上陸戦を狙い、新潟に接近していました。
 上陸地点は太夫浜。今の阿賀野川河口の東側、ちょうどいまの新潟港のあたりです。ここは新発田藩の領地であり、当然のことながら新発田藩が防衛を担当していました。
 ここから新政府軍は上陸。新発田藩は、これに抵抗しませんでした。この時点で新発田藩は列藩同盟を抜けて、新政府側に荷担したのです。
 新潟は政府軍の攻撃によって陥落し、長岡・新潟の二つの拠点を失った同盟軍は、会津へと撤退。この撤退戦の途上で、戦傷を負っていた河井は死亡。戦場は会津へと移ります。若松城の陥落、そして有名な白虎隊の自刃は、新潟陥落から、わずか一ヶ月も経たないうちのことでした。

 客観的に見る限り、裏切ったと言われても仕方がない立ち回りをした新発田藩ですが、そもそも新発田藩はもともと列藩同盟への参加は乗り気ではなく、会津藩からの度重なる恫喝と圧力によって、やむなく列藩同盟に加わったが、それは本意ではなかった…… というのが、新発田側の見解のようです。
 とはいえ、武装中立を宣言した長岡藩にしても、この新発田藩にしても、どちらにせよ自分達が生き残る方策を取るのが最優先であり、この時点までに旗幟を鮮明にしていない勢力は、程度の差こそあれ、新政府と旧幕府の両方を天秤にかけていたはずです。様々な説が伝わっているのは、まだ決定的な歴史と言えるほど冷え切って固まっていない証拠なのでしょう。
 はっきりした詳しい事情は、僕には判りませんでした。と言う事で、ここでは今後の調査課題としておきたいと思います。

 はっきりしていることは、新発田領内を戦火から救った新発田藩の行動ですが、多大な損害を出した長岡藩からは、明確な裏切りと見なされたと言う事です。
 冒頭で述べた「新発田に嫁をやるな」と言う言葉は、このときの長岡士族の言葉です。会津の女傑である新島八重は、会津戦争の仇だった薩摩長州を生涯許さなかったそうですが、長岡の新発田に対する怒り憤りは、それに劣らぬほど根深いものだったのだと思われます。
 そして、戦国時代から変わることなく、新潟は長岡藩の港であり、沼垂は新発田藩の港であったのです。信濃川を挟んだ隣同士、この二つの町の対立は、新時代を迎える寸前に、新たな、そして大きな因縁を付け加えられたのです。

 北へ北へと戦線は移り、明治政府に敵対する勢力は、ついに函館五稜郭に潰えました。かつて会津藩主・松平容保の元で働いた、新撰組の土方歳三も、明治2年にこの五稜郭で戦死、長い転戦の人生に終わりを告げました。
 この前年の明治元年に新潟港が国際港として開港した事は、さきほど述べた通りです。

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