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2013.04.07

ふたつの新潟・私録沼垂新潟興亡記【むすびにかえて】

 かくして、北陸最古の城にその名の由縁を持つ沼垂は、自治体の名前として、その名をいったん収める事となりました。ふたつの町の、古い古い対立の歴史が、いまどれほど残っているものなのか、もはや完全な過去のものなのか。余所者の僕には、わかりそうもありません。

 ただ、沼垂。ぬったり、と言う聞き慣れない地名が、ひょんなことで新潟を訪れた旅行者の耳に届いて。
 興味を持ち、まとめられた歴史に驚いて。旅から、それを持ち帰って、自分なりにいろいろと。調べて、まとめてみたいと思った。そんな魅力のある響きが、この今はない城の地名にはあったと言う事です。

 それは思い起こしてみると、ちょっと面白い話で。いまにして思えば、僕自身のルーツにも少し関わりのある話でもありました。祖父の代にはすでに土地を離れていましたが、先祖は代々、長岡の人で、羽振りのいい豪農だったそうです。
 戊辰戦争の折。御先祖様は、河井継之助の軍備を見て、列藩同盟側が勝つ、と判断。全財産を投げ打って長岡藩側に荷担。
 言うまでもなく戦争で長岡方は敗北し、財産を失い。このあとも色々なことがあったのち、結論から言うと素寒貧になって東京へと出てきた、と、そういう次第だったようです。なんていうか、ここ一番での勝負弱さは一族の伝統なんでしょうかね。とほほです。

 なにしろ素人がネットで調べた限りのことで、あとは史料館で見た資料をうろおぼえで補足しているものです。
 なにがしかの誤解や失礼がないことを祈るばかりですが、内容に事実誤認があった折には、なにとぞご容赦を願う次第です。

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