選挙と隣人。(☆)
このあいだ(の選挙のとき)聞いた、「選挙ってもう終わってたんですね」と言う発言があまりにも衝撃だったので。
今回はさすがにそんなことが言われないよう、あらかじめ「日曜選挙だから」と言い始める自分です。
ついでに、誰に投票するにせよ、投票には行くよう言ってみるものの。あまりいい返事を引き出す事はできませんでした。聞いた限りでは、これまで一度も投票したことはないし、それに確たる理由があるわけでもないようなのですが。
人に自分の意見を伝えて、それを受け入れて意見を変えて貰うのは難しいものだと。
きわめて今更ながらとはいえ、身近な人の意見に受け入れられるほどの論を張る事もできないことに、さすがに無力さを噛みしめざるを得ず。
以前の選挙のときの話ではありますが。母と話をした折、諸々意見を交わし、ネットの方面の意見にはあまり詳しくない母に、こういう意見もある、こういう話も出ている、と言う話をし、それはそれとして母の意見を伺ったりもして。
twitterを通じて、またネットの上で、持論を展開し、かつまた多くの人に意見を届ける事は、むろん大事な事だと思います。それは目に見えないところで、100票にも1000票も生み出しえるかもしれません。
しかしそれと同じくらいには。手の届く範囲、声の届く範囲にいる、身近な人、身内な人に働きかけて。一人の人、顔と名前を知る誰か一人にでも、投票に向かってもらい、願わくば意見を同じくしてもらうことも、大事なことなのじゃないでしょうか、と、いまそんなことを思っています。
自分はネットに通暁し、事態をよく飲み込んでいる、と自負している人こそ、その外側に作用すべきじゃないか、と思うのです。タイムラインに流れてくる豊富な武器言論を援用して、意見の異なる人、興味を持とうとしない人、しかしあなたの話は聞いてくれる見込みのある人に、訴えかけるというほどでもなく。静かに働きかけるべきではないのか、と。
あなたの伴侶、あなたの両親、あなたの兄弟や姉妹。あるいは気楽な、しかし意見を異にする友人。
そういった人たちが、あなたの働きかけで動いてくれたら、あなたの「たった一票」は、三票にも四票にもなるかも知れない。あるいはその人たちは、あなたとは意見を異にする候補に票を投じるかも知れません。しかしそれでも、投票率と言う形に反映がなされる、と思うのです。
きっと今日は説教臭いおっさんだなあ、と思われただろうし、きっと明日また蒸し返して、説教臭いおっさんだなあ、と思われると思うのですが。いやむしろ、説教臭いおっさん、と思われるように、ならないといけないのかも知れません。
投票率が上がらない、と言う事は、投票に行かない人の近くにいる誰かが、上手い下手はあっても、働きかけをしなくてはいけないわけなんですから。
そんな感じで。明日もうるさがられようと。そして皆さんにも、身近な人にうるさがられてほしい。ネットの外側にも、あなたの意見をもたらしてほしい、と思う。そんな次第です。
Vフォー・ベンデッタを見つつ、思う。あと4日だけでも。
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