終わらない世界と割きにくい時間。(☆)
なぜかスクリーンショットが撮れないのです。うちの環境のせい?
……というわけで、なんていうかまあ。オンラインゲームは途中でフェイドアウトしちゃう、ってもう重々自分でも解ってるはずなのに。つい買って来ちゃいました。PS3版のFF14。
ゲームが悪いとか駄目だとか、そういうことではなくして。オンラインゲームをやっていると、なんていうか自分はほんとオンラインゲームに向いていないと言うか、ゲームに向いていないと言うか、そもそも人と協力してなにかをすることに根本的に向いていないと言う事を念入りに思い知らされてしまうので。もうなんか、いいや、と思うのですが。それでもまた性懲りもなくとしか言いようがなく、欲しくなって買ってしまったと言う。
結局、β版のときに作ったままフェイドアウトしてしまったキャラクターが、選択画面でひょこっと出てきて。思わぬところで衝撃を受けたりしつつ。
街中の雑踏で、走っていたり立ち話をしていたり。目的ありげに、あるいは楽しそうにしている、名前のある沢山の人々の中をすりぬけて歩いていると。現実の雑踏の中で感じる孤立感と同じものが身に染みる。それは世界が生きて活気がある、と言うことではあるし、昔と同じように、また現実と同じように、活気があって生きている世界。なにかを積極的に要求してくる世界で、それだからこそ感じる、強い他所者感。
なにかを要求されても、それに応えることはできないし、応えられない以上は、そこに存在する、あるいは参加する意義を与えられない世界。誰にも関わりを持たず、さすらうこともできるかもしれないけれど、早晩、その先には可視か不可視の壁にぶちあたる。そこから先に進むには、努力と失敗を積み重ね、失笑と愚弄に耐えなくてはならない。ひとり歩いて辿り着く事はできるかもしれない、でもそれは単に、いつ心が折れるかを試すだけの、求道の作業なわけで。ふと、これは娯楽だったんだろうか。それとも作業だったんだろうか、と我に返る。そうすると、もうログインしなくなる。ただただ、現実と離れた美しい風景を覗いて歩き回り、物語の成り行きを読んで知りたいだけなのに。
……だから、つまるところ。そもそもがゲームに向いていないんだろうなあ、と思うのだけれど。
挫折すると解りきっているのに、また人のいるところに出向こうとしていると言う。思うだけで、解ってない、ってことなんでしょうね。きっと。
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