往来を行くは噂の白犬:犬の伊勢参り(☆☆☆)
伊勢神宮に参拝する。
犬が。
それも、別に人についていったわけではなく、ひとりで、と言うか一匹でやってくる。それも近在ではなく、はるか東北のような遠方からまでも、てくてくと歩いてやってくる。
首には持たせて貰った銭を提げ、道中その銭で世話を見て貰ったり、あるいはまた寄付を貰ったり。ともかく伊勢まで辿り着くと、お札を貰って、そのままてくてくと、また長旅を故郷へと帰っていく。
まさかそんな、と。同時代の江戸時代の人でさえ、そう思った。あるいはそんなものは嘘だと。噂ではあるけど実在しない、とも書かれたものの。しかしこの犬の伊勢参り、同じ時代の人で目撃し、あるいは随筆に、あるいは日記に。そしてまたあるいは、申し送り状のような、公式な書類の記録に残っている。
そして驚くべきことに。最初の犬の伊勢参りが行われた日から、最後の犬の伊勢参りが行われた日まで。正確な日付まで、記録に残されているのです。最初の伊勢参りは明和八年、1771年。そして恐らく、最後の犬の伊勢参りは、実に明治七年、1874年。
その間、約100年弱。断続的にどころか、明治の御一新まで、犬の伊勢参りは増え続けました。人々はそれを目撃し、不思議だ不思議だと言いつつも。ついにはその姿は不思議だけど当たり前のものに、あえて記録するほどでもないものにまで、人々に知れ渡ったものになっていくのです。
いったいなぜ、犬は伊勢参りを始めたのか。そもそも本当に、犬は伊勢参りをしたのか? その情報はなぜ広まったのか。そして犬はどのように長い旅を果たしたのか。
一方で視線を変えて、犬にまで参拝される羽目になった伊勢神宮の側。そもそも犬は伊勢神宮の大敵であり、余裕で千年も悩まされてきた頭痛の種でもあった。犬と伊勢神宮、そして天皇家の関わり。さらには伊勢神宮の中世の苦況と、かの犬公方・綱吉の時代の出来事について。
話はさまざまな記録や日記、創作を縦横に引用しつつ、いろいろな角度から「犬」と「伊勢神宮」を切り出していきます。江戸時代の犬のあり方、あるいは共同体のあり方。それが近代にいたってどう変わっていくのか、というところまで触れている、ひとつの幕末の視点でもある。
語り口は平易で、題材は興味深いの一言。式年遷宮の年に出版されたのも頷ける、興味深い一冊です。
このタイトルを見て、え? と思った方は、ぜひ。
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