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2014.01.15

忍殺創作体制に偽書のバイタリティを見る。(☆☆)

 とりあえず前提として言っておきたいのは、僕はヘッズと言えるか解りませんがニンジャスレイヤーのファンである、と言う事。
 それはそれとして、従前より翻訳チームが真の作者であって、原作者は存在しない的な説を前から信じている、と言う事です。
 以上2点を踏まえてけさ電車に乗ってたら、脳味噌に変なアイデアが降りてきました。ニンジャスレイヤー(の創作体制)って、話に聞いた、東日流外三郡誌になんか似てないか、と言う事です。

 東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)。東北には隠された真の歴史があった、とする、「質的にはともかく量的には史上最大」と言われた偽書のひとつです。
 もうなんか、この存在自体がニンジャスレイヤーっぽいと言えば言えるのですが。この東日流外三郡誌が、製作もとい発見されていく過程が、なんだかニンジャスレイヤーっぽいなあ、と思ったのです。

 東日流外三郡誌は、故・和田喜八郎が自宅から発見した、として発表したもの。内容的には超古代から続く東北の歴史、なのですが、少なくとも和田喜八郎の生前、原本は決して誰の目にも触れる事はなく、祖父が書き写したとされる「写本」が、徐々に時々に、ある種必要に応じて、少しずつ発表されていました。

 結局まあ、この三郡誌というものは、先祖から受け継いだ古文書に仮託した、和田喜八郎の創作物である、と言うのが今日言われているカタい線なんじゃないかな、ってことなんですけども。
 どうもこの三群誌、「この物品にこういう由来はないか」とか、「こういう話を聞いた」と言うようなエピソードの後に。そのとき必要とされる話や、聞いた話にヒントを得たエピソードが、ぼこっと「発見」されてきたりするらしいんですよね。

 今日、例えばインタビューや書籍版などで出て来る、ニンジャスレイヤーの書き下ろしのエピソード(原作者書き下ろし、と言うシリーズ)から、ヒットマンなどの関連書籍への原作者の寄稿などなど。

 目下のところ、明確に原作者とのコンタクトを持っているのは(独占翻訳権を保持している)翻訳チームのみみたいですし、その翻訳チームは必要とあれば原作者書き下ろしのエピソードを提出することもできる。
 そして例えば、最新訳出されたエピソードの中で、しれっとマスコミ関係者がプロデューサー巻きしてたりする、みたいなところも、なんだかかこう、似たような雰囲気を感じるのです。

 もちろん、創作体制に似たようなベクトルを感じるとはいえ、問題は全く別のものです。偽書が偽書として問題になるのは、それが歴史書などの体裁を偽っているからであり、ニンジャスレイヤーを日本史として書いているとはいくらなんでも思えないし、そう思って読んでいる人もきっといないと思うからです。いくら多様性の世界とはいえ。あくまで小説であり創作であり、創作陣が多少そこに遊びを(あるいは、ある程度の利便を絡めた遊びを)設けたとしても、それはこんなふうな想像をたくましくさせてくれる、楽しみの一つだと思うからです。

 こういう話をすると、なんとなくイザヤ・ベンダサンを思い出したりもしますけども(そして確か未読だった気がしますけども)。古典でもフィクションにおいては、例えばホームズもののパスティーシュにおいて、「この未発表の物語がどういうギミックで発見されるに至ったか」みたいな煽りは、本編と同じく、フォーマットに則った楽しい遊びでありました。

 つまるところは、面白い作品は妄想もはかどるなあ、おもしろいなあ、ってとこですね。
 オムラ関連の話でも、前々からぼんやり考えている話があるので。早いところ形にしたいです。とか言ってたら、今丁度その辺関連が面白い話なんですよなあ。ぐぬう。

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