« お招きに預かりまして秘密基地。(☆☆☆) | トップページ | 謎と無邪気と擬人化と:鳥獣戯画展(☆☆☆) »

2015.04.27

見守られた混乱のなかで:ニコニコ超会議に圧倒されてきた話(☆)

リンク: ニコニコ超会議2015.

 もともとちょっと気になってはいたのですが、若人向けのイベントだよなあ、と思ってなかなか二の足を踏んでいたニコニコ超会議。
 ひょんなきっかけで一緒に行こうとお誘いを受け、それじゃあってもんでロボット関係者の皆さんが4人。ぞろぞろと行って参りました。皆さん(一名除いて)スーツ姿で。……なんていうかこう、いろいろ、そう、なりゆきというもので……。

 さて。逐次的に見たものあれこれを写真で紹介したい、と思いますし、写真も取りまとめたのですが。
 ともかくもまずは全体の雑観として、どこを見ても圧倒される、音なり人なりの圧力がものすごい、エネルギッシュではみ出ちゃってる空間、と言う印象でありました。歩き回りながら、もしくは帰ってきてから、考えたこと、感じ入る事が実に多く。なかなかうまくまとめきれない…… たぶん別エントリでまた振り返る事になる…… と思うのですが。
 全体的な雰囲気は、テレビ局が主催する、たとえばお台場祭みたいな雰囲気が全体の七割くらい。フリーマーケット的な雰囲気が三割くらいで、その中にたとえばホビーショーやmakeのような、毛色の全く違うイベントの雰囲気が、モザイクのように点在している、そんな雰囲気です。

 それにしても、これはなんと言えばいいのか。圧力があるほどに、どこにもかしこにも満ちあふれているのは、とにかく密度のある自己表現感。

 全く違うジャンル、全く違う分野の存在が、そこかしこに固まって存在し、そこには、それぞれの分野での積層的なコミュニティがある。たとえば自分達で言えば、ロボットにからんで知っている人が、出展していたり訪問していたりして、そこかしこに訪れて挨拶したり雑談したり、そういえばこの人も、みたいな話をしたりする。そのあたりだけを見れば、フリーマーケット的な「小さな集団」の活動が、そこかしこにある。コスプレイヤーの人にはコスプレイヤーの人の、細工師さんには細工師さんの、クラスタと言うか集団があり、その中での交流や協調がある。それは、その分野の中での「作り手」、創作者としての交流の場(そして結構な割合で、交流して何かを生み出した結果の発表の場所)となっている。

 転じて、それらの「全く違う分野」が、ひとつの場所に集められて点在している結果として。自分達の分野では創作者である人達が、隣の分野、他の分野では、一観客として、というか、視聴者として振る舞うことになる。全く違う分野で、技と知識を磨いた人達の活動を見る事ができる。それこそ、力士の皆さんがグッズ売り場に並んでいて、在日米軍の人がコスプレの写真撮ってるみたいに。
 そして(自分のような)純然たる一観客、何も生み出しているわけではない一視聴者も、運営側の用意したコンテンツ、あるいはこの場所に自ら出向く事に意義を見いだした、組織なり企業なり集団なりの用意した、十全な予算と人員が費やされた演し物を楽しむ事ができる。
 そして恐らく、実際の影響力はともかくとして、その場所において何かしらを表現する、と言う意味においては、有名であろうが無名であろうが、企業であろうが個人であろうが、チャンスは(等しく、ではないにせよ)分与されている。少なく見積もっても、門戸は開かれている。すべてに対してでは、決してないであろうにしても。

 この会場の雰囲気を以て、「混沌」と言う言葉がよく使われているのは、よくわかります。
 乱雑であり整理されていない、なんかもうこんがらがっちゃってるエネルギー剥き出し感は、まさに混沌と言いたくなるものなのですが。じゃあその混沌なるものが、自由放任、ほったらかしのやりたい放題なのかと言ったら、まったくそれは正反対なのだと思います。
 荒れ地に雑草が生えるに任せても、そこには強い種が他を支配するという秩序が生まれます。混沌はたぶん揮発性で、放っておいたらどんどん整理され、整然たるなにかになってしまっていくのでしょう。渾然一体な状態を人為的に作り出すには、とんでもない注意深さと、神経質な努力が必要になるはずです。
 そうではなくても、今日日は気難しい御時世です。そしてこの会場内には、気難しい人の気分を害するには、十二分なまでに面白いものが溢れています。
 たとえ運営者が舵を誤らなくても、ひとりの、あるいは一定以上の逸脱者が、訪問した15万人の中に現れれば、温室の夢は、ひどく簡単に破れてしまうのでしょう。

 慎重に保護された多様性の揺りかごと言ってもいいし、フラスコの中の混沌、温室の中の自由と言う事もできる。
 見えない土台が、危ういバランスの上にあるのかどうか、僕の想像が当たっているのかどうかは良く解りません。見守られ、保護されながら、なおも存続し、拡大しようとする、設計された混沌。それがこの超会議から感じた雰囲気なのだとすれば、僕はたぶん、ニコニコ動画本体も、同じように考えているんだと思います。
 そこがどういう世界なのか、僕にはたぶん掴めていないのだと思いますし、これから勘所を掴む自信も、あまりありません。とはいえ、表現のツールを手に入れた人達が。なにがしか、こう、やらかしたりしながら。肯定に、あるいは手ひどい否定に対面しながら持ち道具を磨いていく事は、別に頭ごなしに否定しなくちゃいけないことではない。少なくとも笑うべきことではない、と思うのです。
 負けたということは、少なくとも戦ったと言う事だし、手ひどく落ちたということは、それだけ高く飛ぼうとした、ということでもある。そして電子的な過去をひっそりと葬り去る事は、きっとできるのですから。

 意図されていたのか、それとも僕がそういう目で見ているだけなのかは解りませんが、超会議の壁に貼られていたさまざまなイラストが、決して上手いものではないものも、ひどく印象的でした。ぱっと見、それは懐かしの文化祭の演し物の告知そのものなのですが。なにかをやっていいんだよ。この場所は、プロの人達、上手い人達だけのものじゃないんだよ、と言うメッセージを。なんとなく、その中に見た気がするのです。

 とまあそんなふうに、ちょっと表面を撫でただけで、とりとめもないことを考えてしまうような…… たとえばオタクの大乗仏教化なんていうろくでもないことを考えてしまうような…… それだけ強烈な印象を受けた、とまあ、そういうお話でありました。おかげで時間がなくなっちゃったので、個別に見たものの話はまた後日に。

 これから二回目、三回目と、行く事になるか、ならないか。それはまだわかりませんが。今後、超会議を見に行く事があっても、今回のファーストインパクトほどの衝撃を受ける事はたぶん二度とないし、これだけいろいろなことを考える事になることも、たぶんないんじゃないかと思います。
 剥き出しの混沌を、備えも構えも予備知識もないところにまともに食らう。
 なりゆきではありますが、貴重な体験ができた、そんな日曜日でありました。

 金岡博士のロボを見た話とかは、また日を改めて。

|

« お招きに預かりまして秘密基地。(☆☆☆) | トップページ | 謎と無邪気と擬人化と:鳥獣戯画展(☆☆☆) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/11580/61504512

この記事へのトラックバック一覧です: 見守られた混乱のなかで:ニコニコ超会議に圧倒されてきた話(☆):

« お招きに預かりまして秘密基地。(☆☆☆) | トップページ | 謎と無邪気と擬人化と:鳥獣戯画展(☆☆☆) »