記録が記録を覆すとき:殷 - 中国史最古の王朝(☆☆☆)
およそ中国の歴史は三皇五帝の神話から語りおこされ、未だ実在の裏付けのない初の王朝・夏が続き、そしてそのあとに、遺跡が遺物が多数発掘され、その存在が確実とされている最古の王朝がその後に興ります。この本の題材となる、それが殷王朝です。
その滅亡さえ紀元前一千年は遡るとされ、古代も古代の殷王朝。あまり馴染みのある時代とは言えませんが、この時代は漢字のルーツである甲骨文字が生み出された時代。さらには驚くべき精巧さと美しさを持つ殷の青銅器を、写真や文献で目にしたこともある方も多いはずです。とはいえ、もっとわかりやすい例えを探すと。『封神演義』の時代背景となり、敵役扱いだった商王朝というのは殷のことであるとか、殷の最後の王である紂王の悪行として、酒池肉林などの言葉が残っている、といえば、あるいはぴんとくるかと思います。
自分が中国史の本を読みあさっていたのはかなり前のことになりますが。神秘政治、と云う説明がなされていたように思います。
神と一体化したシャーマンキングである祭祀王が、儀式とカリスマで帝国を支配し、その軍隊は死をも恐れぬ神の軍勢であり、周辺民族に耐えず征服戦争を仕掛けては、彼らを奴隷として連れ帰り生産力とした…… そして、その奴隷が生み出したものこそが、恐るべき精巧さを持つ殷の青銅器である…… と云う、そんなちょっと不気味な、そしてどこか歪んだ神秘のロマンが溢れる、そんな古代の荘厳な王朝の姿でした。
しかしこのイメージは、どのへんまで合っているのでしょう? 殷王朝の姿を伺うための主要なソースは、これまで文献による記録でした。史書をはじめとする営々と書き続けられてきた文字記録が、歴史そのものだったのです。
とはいえです。史記を初めとする歴史記録は、中国の伝統的な思想である儒教に基づき、知識人階級である儒家によって編まれてきたものです。そしてその儒家達にとって、理想の政治とは周の時代の政治であり、その周こそは、商周革命で商を、すなわち殷を倒した王朝なのです。
そりゃまあ、普通に考えて、「周りっぱ、殷ゲスい」みたいなことを盛り込んでんじゃないか、と勘ぐりたくもなるでしょう。言われっぱなしサンドバック状態の殷ですが、この王朝には反証のための物証が、もうひとつの文字記録がありました。甲骨文です。
発掘からまもなくの日中戦争、国共分裂、さらには文化大革命といった困難に晒されながら、中国内外で徐々に徐々に甲骨文の解読は進められていました。
そしてその結果、文献資料によって残されていた殷王朝の姿とは、かなり異なった、しかし合理性を備えており、おどろおどろしいイメージに負けず劣らず魅力的な、そんな姿がだんだんと解ってきた、と言うお話であります。
甲骨文の解読はいまだ進行中であり、不明点も多く、また通説とはいえない(著者独自と思われる)説も、ところどころに顔を出してきます。そのぶんを引いて考えても、甲骨文による歴史資料の見直し、史記の既述の誤り、そしてさらには「なぜ史記はそういう記録を残したのか?」と言う内容への考察まで。ところどころ難しい既述もありますが、全体に既述は平易であり、わかりやすく論理的です。
なぜ殷王朝は、中期に兄弟による王位継承が異常に多いのか? 殷王朝は、本当に奴隷制度だったのか。そうだったとして、多数の奴隷を管理しうるシステムが、この王朝に備わっていたのか。あの秀麗な青銅器は、なんのために作られたのか。そして王はほんとうに祭祀王だったのか。彼らのする『予言』は、本当に当たっていたのか?
甲骨文字、そして甲骨文(ときには青銅器と金文)と言う物証に当たりながら、古代の王朝の姿を再構築していき、その盛衰を通して見る事でいまと地続きのいろいろな問題を明らかにしていく。甲骨文とか殷の青銅器が大好きな人、中国史の最近の研究に興味のある方には、ぜひ。
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コメント
面白そうですね。
殷と申しますか商は以前からすごく興味がありましてネット上にある甲骨文からの情報なんかをよく読んでおりました。
日本語で読める本は少ないですし、殷周革命絡みになってしまいがちですのでこういったご本はありがたいです。
投稿: サンドマン | 2015.05.05 22:29
こちら面白かったですよー。実にお勧めです。
甲骨文と文献記録を付き合わせているあたり、今もまだ研究中である、みたいなダイナミックな紹介のされ方で興味深いです。著者の説がはみ出ちゃってるところも含めて魅力的ですね。
投稿: sn@散財 | 2015.05.06 08:17