若い頃の苦労は買ってでもしろって言うけど、「いくらですか」って聞いたらすごい怒られるんじゃないかと思ったりして(☆)
いや洗濯物干しててふと思ったんですけどもね。
「若いころの苦労は買ってでもしろ」って諺がありますけど、「じゃあ買いますので値段教えて下さい」って言ったら、結構な人は一瞬うってなるんじゃないかなと。
まあ常識としての回答は「そういう意味じゃない、もののたとえ」と言うあたりで落ち着くと思うし、「屁理屈を言うな」ってすげえ怒られるのがオチだと思うんですが、これは結構、複雑な問題にかかわっている気はします。
僕らは、と言いたいところですが、他の人がどうか解りませんので、僕は。ものに値段をつけるのが苦手であります。
まあ別に個人で商売してるわけじゃないし、売る側にまわった経験はいままでほとんどない(だからこそ、値決めが出来ない)わけなんですが。反対側から見れば、自分が買おうと思っているものの値段が適正かどうか、自分でどうも自信を持って決めきれない、と言う意味でもあります。
これがパソコンとか電子製品とか、あるいは酒とかビールとかだったら、まあまあ、普段から買ったり買おうと思ったりしているので、他と比較して相場観がなんとなく理解できるんですけども。
ひとたび自分の詳しくないもの、例えば服とかになってしまうともうだめです。人間てのはわがままなもんで、自分が知識のうすい分野のものを見ると、どうしても「高くはないのかこれは」と思っちゃうんですよね。
もう一回裏返して表に戻すと、たとえば僕はその服を渡されて「これをいくらで売りますか?」と言われたら、たぶん回答できない。その値段にどのような根拠があって、どうしてそうなっているのか、想像して構築することができていないからであります。
その一方で、本を買うときに、あるいは最近特に無料のアプリやサイトなどを使っているときに。「もっと高い値段がついてしかるべきじゃないか」とか、「応援したいからお金払いたい」と思うことも、逆にはまたあります。
艦これなんかはだいぶ遊ばせて貰っているので、特に必要とはしていない要素でもちまっと課金してたりしますし、wikipediaさんにも些少ながら些少させていただいていたりもします。
近代は価値観が多様化した、みたいなことは、歴史の教科書からしても書いてあるくらいではありますが。本当に価値観は多様化したのか、とか、思うことはあります。本当は価値観は一元化してしまっていて、「値段が高いか安いか」が好悪優劣の唯一の基準になってしまっているんじゃないかな、とか。
そして、その値段なるものは。値決めしうる能力を持つ少数の人にとってのみ適性であり、そうではない他の人達にとっては、つねに「高い」のです。
「買う理由が値段なら買うな、買わない理由が値段なら買え」と言う名言もありますが。これなんかは値段を唯一の価値観としてしまいそうな傾向に、がきっと釘を刺す一言なんじゃないかな、とか思う次第です。
なにかを見た時に、反射的に「高い」と言ってしまわないように。
高いと文句を言う前にすすんで値段をつけましょう。と。そういう自戒でありました。
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