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2016.04.18

熊本地震に接して一日断食をした話、および焦燥に根ざす善意について。(☆)

 それが災害とはいえ、今回のことはあまりにも唐突でありました。
 罹災された方々の暮らしが元に復し、今が一刻も早く過去になることを願ってやみません。

 さて。
 わずか5年前に繰り返したばかりの経験ではありますが。苦難する人々の話を耳にして、自粛せよ不謹慎だと言う話が出て来るのは、それはそれで人として素直な感情なのかもしれません。しかし素直な感情が正しいとは限りません。まして有益とも限りません。だから5年前、僕はこんなことを書きました。
 世情に流行るものは他粛であり自粛ではない。他者に自粛を求めてはならない。後ろめたくて、なにかをせずにはおられないのなら、三日も断食して、そのあと普通の暮らしをすればいい、と。

 やりました。
 一日だけですけども。

 断食と言っても大したことはありません。たかが一日食べなかっただけです。水とお茶は普通に飲んでました。うっかりしていろはすヨーグリーナを買ってきて飲んだのは、あれが水かどうかと聞かれたら、たぶんアウト。
 で。きりのいいところで17日の0時からカウントして、18日の0時まで、24時間だけ。日曜一日分の食費はだいたいこれくらいだろう、と概算した金額を、さっき赤十字に寄付してきたところです。

 意味があるのか? と聞かれたら、ないね! と答えるほかありません。
 これは自己満足です。へそ曲がりと、いくばくかの善意と、無視できぬ量の自罰心を織り交ぜた、ただの自己満足です。
 熊本に送る義援金を作るために一日絶食したと言い張ることもできるでしょう。被災している方々の苦難を少しでも理解するため、自らに飢えを課したと言うこともできるでしょう。天地に神明に、神佑天助を祈るためにそうしたのだと言うこともできるでしょう。はい嘘。 全部嘘。これは。ただの。善意に根ざしてさえいない、ただの自己満足です。

 不謹慎とはなんでしょうか。
 一歩退けばそれは感情であり、もう一歩退けば情報です。情報は送り手が発信し、受け手が受容する、その双方によって成り立ちます。味付けの好みが人により異なるように、発信した通りにその情報が受け取られることはまずありません。
 感情もまた情報である以上、送り手が想起したものと、受け手が受容したものが、あるいはわずかに、あるいは大きく、無視しがたいほどに大きく相違してしまうこともあります。果たして、不愉快と言う勘定を想起せしめたのは、誰の責任になるのか。どちらにより多くの責任があるのかを照明することは、ケースによっても事なり、一般論で纏めることは難しいでしょう。このような場合、多くのケースで送り手は強い立場にあり、そうであるがゆえに大きな責任を負い、かつ大きな非難を浴びます。 

 しかし、責任は必ず一方にのみあるのでしょうか? 送り手による発信が「不謹慎だ」と感じられたとき、受け手の受容はつねに完全なのでしょうか。
 ネットを引き合いに出すまでもなく、半世紀以上も前にテレビは現実を劇場にしました。実際に苦しんでいる人を、安全な立場で見てしまう、見ることができてしまう現実。繰り返しすり込まれる情報に、再現なく膨れ上がる無力感。焦燥。なにかしなくてはならないと言う、素直であるけれど正しいかどうかは判らない感情。
 それらが行動に雪崩れこみ、そしてその行動が必ずしも周囲の利益と噛み合っていなかったとき、人は独善的になり、独善的な人は攻撃的になります。善を為そうとする人にとって、善を妨げる者は悪であり、悪は非難されるべきだからです。それがどのような事情であっても。

 善意が暴発している人は、焦燥に駆られているのではないでしょうか。無力感に追い詰められているのではないでしょうか。見える。こんなにも苦しんでいる人がいる。ああそれなのにお前はなにもしないのかと。だからこそ不寛容になる。攻撃的にもなる。
 断食と言うのは自罰です。自罰は言うまでもなく自己満足です。しかし、善意が暴発し、攻撃的になっている人に必要なもののそのひとつは、ほかでもない自己満足なのじゃないでしょうか。自分は果たすべきことを果たした。己の持ち場でしっかりと頑張っている。そんなよすがが、たったひとつでもあるべきなんじゃないでしょうか。
 誰も救わない、誰も救われない、それは、そんなただの自己満足です。でも、自分が苦しいのなら、まず最初に、密かに自分を救えばいい。救われた自分がいて、はじめて他の人を救うことができるはずです。

 たった24時間の断食。それほど大それたことではありません。大したことでもありません。でも、誰に迷惑をかけることもありません。
 あとになって。あの日、あのときどうしただろうと思うとき。なにもできなかった、なにもしなかったと悔やむのを防ぐ、そんなささやかな役には立つと思うのです。
 自分の苦しみだけを見て、怒りを振りまくくらいなら。自分を罰し、自分を救い、そして誰かの助けになれないか、そのとき改めて考えましょう。

 誰にとっても、今が一刻も早く過去になることを願って。

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