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2017.06.08

光のお父さんを、読んで眺めて考えたこと。(☆)

ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん

 前にも一回書きました、人気ゲームブログのドラマ化作品・光のお父さん
 先日放送された最終回をちょっと遅れて録画で視聴して。これは原作も読まなくちゃ&お布施をしなきゃ、と思って書籍版を購入。一気に読んでしまいました。
 書籍版、電子版を買いましたが、間のコントロールのしかたが、ほんとにブログを読んでるような感じで、にやにやしながら読んでおりました。書籍版とドラマ版、それにもともとになったブログ版とも。たぶんちょっとずつ、あるいは大幅に違うんでしょうけども、僕はどちらも楽しませて頂きました。

 「光のお父さん」にまつわる事実が、まず基点としてあって。それが息子さんの視点から綴ったブログによって世に現れて。整理された書籍版があり、さらに実話のエピソードを元に、ドラマとして最適化されたドラマ版が、バトンを受け取ったと。だから、ちょっとずつ違って当たり前だし、そこはそれぞれの工夫の成果なのだと思います。
 僕はうしろの方から、世間と逆の方向で眺めていたのだとは思いますが。なるほど、ドラマのこれは元々こういう話だったのか、とか、このへんの前後関係があるからドラマではこうだったんだな、とか、いろいろ邪推しつつ楽しんでおりました。

 一日一時間の話も面白かったですし、そもそも一話の井上の時点でぶほってなっていたのですが。とりわけ気に入ったのは、ガルーダ戦にまつわる5話のあたり。一見関係のない実写パートのシーン(しかも会議)と、エオルゼアのガルーダ戦のシーンが二重写しとなる疾走感。そしてそこで語られている言葉は、書籍版の(おそらくは元々のブログで)伝えようとしていることともオーバーラップしているように思えるのです。

 ややネタバレにはなりますが、このシーンの直前に「別段、目新しいことはないよ」と言っているシーンが、とても印象的。
 目新しくない意見、ありきたりな意見は、一般的に言ってあまり喜ばれません。ドラマのこのシーンがそうであるように、アドバイスが欲しい人が求めているものは、たいていは魔法のような解決方か、一手飛ばしの答えか、そうではない場合はたっぷりの肯定です。誰もが辿り着くありきたりの答えは、非常に大事で原則的なものであっても、決して喜ばれない。そこにあえて、謙遜の意味を込めてでも、目新しくない正解を、あえて提示できる。この言葉を発した人の、力量がかいま見える。

 目新しくない答えが、往々にして、有用にもかかわらず喜ばれないのは、それがどこにでもある答えで、自分達だけの解ではないからなのかも知れません。ありきたりの答えを言う人が、なぜその答えに辿り着いたのか。その経緯と物語が、ありきたりの答えを、その人だけの答えに昇格してくれる。
 そしてこの話で、それを説明するのが、実写のシーンとがっちりオーバーラップした、ガルーダ戦のシーンなわけで。これはすばらしい。たぎります。

 そんなこんなで、書かれていることも書かれていないことも、いろいろと見て考えて楽しんだ光のお父さん。ドラマを楽しみに見たのは、ずいぶんひさしぶりのことのような気がします。

 楽しいを見せること、楽しんでいることを見せること。それが他の人を呼び寄せ、他の人の楽しいを気付かせる。そんなこんなで、楽しいと思ったあとに色々考えることも学ぶことも多かった、そんなお話でありました。こうはなれなくても、こういうふうにありたいと思いつつ。

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