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2018.01.02

振り返り九州旅行。(☆)

 一日目。
 北九州空港に昼過ぎに到着。兄たちと合流して、資さんうどんでお昼ご飯。
 うどん屋の店内におでんの屋台がビルトインされている(伝票も別)と言う構造に面食らい、こっちのうどん屋はみんなそうなんですかと聞いたら、この系列のお店だけだと返される。このやりとりは旅行中何度も繰り返すことになります。

 別府へ移動。ブラタモリではぎりぎりスルーされていた、ものすごく渋い公共浴場の竹瓦温泉へ。年末年始は無料開放と言う僥倖に遭遇。それにしても竹瓦温泉の回り、びっくりするくらい風営法的に色町でした(そして巧みにそれらが視界に入らないルートを選択して目的地に辿り着く兄)。
 熱いと言われてたけどほんとに熱かった別府のお湯を頂き、通り沿いに移動。ほとんど真裏にある波止場神社は、西鉄の稲尾当主の生家のすぐ近くで、稲尾神社と称されたと。
 神社を創建したのは、明治時代に別府港の開発を進めた松方正義。この旧別府港、楠港の開港と、大阪からの直通便の開港により、別府は一帯の温泉の中心地となっていったわけです。
 この楠港からメインストリートとなる流川通りがほぼ真西に向かって伸びて町割りの中心となり、その終点にはラクテンチが出来た、と言う知識はブラタモリの受け売りです。
 海鮮居酒屋でアジとかサバとか、それにウニとかで豪華に晩ご飯。ウニは実際のところこれまで苦手だったんですが、さすがにおいしいところで食べると、おいしい。あんまり好きじゃない食べ物は本場で食べるといい。と言う教訓を、実地で検証した塩梅。

 宿泊した亀の井ホテルは、別府開発の父と言われる油屋熊八が始めたお宿。この油屋熊八と言う人がまあ面白い人で、開港後に急発展していた別府で、様々なアイデアを実施して別府の発展に尽くしたと言う人。ホテルの中の展示を覗いて回り、おもしろTシャツを買って来てしまいました。「ゆ」ってでっかく書いてあるやつ。


 翌日は、別府の北側、鉄輪に移動して、別府名物・地獄めぐり。
 義姉さん曰く「普通は町の中に温泉があるが、別府は温泉の中に街がある」。その言葉の通り、前日は曇りで分かりにくかったのですが、地面のそこいらじゅうから湯気が噴き出し、川やら側溝やらから湯煙が顔を出す、そんな別府の街中でも。特に奇観を誇る、入るためと言うより鑑賞用の温泉が集まっているブロックが、人呼んで「地獄」。

 地獄の沙汰も金次第なので、地獄に入るにはチケットが必要です。ところで地獄の中でも、別府地獄組合に加入している地獄とそうではない地獄があり、組合に加入している地獄は地獄共通券が使えます。地獄はそれぞれ経営者が違うので、同じ地獄でも組合に加入していない地獄や脱退した地獄があるので注意しましょう。もう僕このへんで地獄地獄言い過ぎてなにか見るたびにゲラゲラ笑ってたわけですが、だいたい何にでも地獄って頭についてるので、こう、ずるいと思います。ずるい。

 まず間欠泉の竜巻地獄、は、ちょうど吹き出した後だったので、先にすぐ近くの血の池地獄を見学。かなり静脈みのある鈍い赤色の温泉です。地獄の足湯があって足下注意って地獄の注意書きがあるし、併設のレストランの名物は血の池バーガーだし、すいませんちょっと休ませてください。
 時間になったのでちょっと戻って。竜巻地獄は間欠泉。数十分に一度、100度を超える熱湯が、最大30mに達するまで勢い良くどばーっと噴出する、と言う、まあ、うん、地獄だこれ。と納得するしかない地獄です。現在は石の被いがかかっていて、フタをされている恰好でそこまで噴出はしていませんが、この屋根かけるの大変だったんだろうなあ、とひとしきり。

 車で山を登り、昼食(だんご汁とかやせうまとか初めて見ました)を挟んで、次に来たのは、かまど地獄。なにがどう地獄なのかよくわからない感じの名前で、ブンブク茶釜っぽい絵があったりして軸が安定しない感じではありますが、中はすごい。中にいくつも地獄があるんですが、それぞれが全然別種のもの。他の地獄が一点突破型だとしたら、それぞれのミニサイズのサンプルが存在しているよう。そしてガイドさんの名調子。シームレスにハングルと日本語を切り替えながらのリズムのある解説がこう。
 温泉を利用してワニを飼育している鬼山地獄は、生まれたばかりの小ワニにほのぼのしたかと思ったら、「ワニの噛む力は一トン以上あります、スマホを池に落としたらもう戻らないと思って下さい」と言う具体性溢れるアナウンスに痺れ、白池地獄ではどういう理屈なのか、魚が豊富。ガーにピラニアにウロコが靴べらになると言うピラルクまで。
 海地獄は一番の大迫力。どこかの大名屋敷の庭園かと思うような、遠景の山まで含んだ静かなたたずまいに嘆息していたら、奥の地獄に踏み込むと印象が一変。飲んだら間違いなくよくないことになると思わせる、透き通るようなブルーの水面に、竜巻地獄の間欠泉が延々と吹き出し続けているような凄まじい蒸気。
 ちなみに場所によって建物の綺麗さが全然違うのですが、海地獄のお土産屋の綺麗さはホテルかブランドショップかと思うような気合の入りぶり。海地獄はなるほど稼ぎ頭なのだな、と納得するレベルであります。
 坊主地獄、ではなく、鬼石坊主地獄で、白い泡がぼごぼごと吹き出す光景で、地獄〆。地獄スタンプラリー、いや冗談ではなくほんとにやってたんですが、スタンプラリーを提出しまして、地獄巡りはこれで終了となりました。

 小倉に移動する途中、宇佐神宮に立ち寄り。弓削道鏡のあれこれで有名ですが、全国の八幡様の大本である大変格式のある神社。由来を見ても道鏡事件のことはついでくらいにしか書いてないくらい歴史の古い神社です。まあ、うん、スキャンダルのせいで有名になるってのは誰でも嬉しくないですから、そりゃあまあ、書かないわけにはいかないけど、そんな扱い大きくしたくないですよね……。
 大きな参拝道を通り、階段をてくてくと上ってお参り。この日は折しも大晦日なのですが。年末のお祓いをやっていたり、フライング初詣のわりには、結構参拝客が大く来ておりました。ただ物販、いや物販って言うのはどうかな、お守りとか破魔矢とかはまだ全然準備中。巫女さん達が慌ただしく準備をされておりました。
 上宮も下宮も三ヶ所ずつお参りし、史料館に心ひかれつつも、時間も迫っていたのでそのまま退出。山を下りてきた駐車場近くで、なぜか宮本武蔵の碑を見かけたのですが、ずっとのち、昭和42年に、宇佐神宮に二天一流宗家が伝わったからなのだそう。

 この日は小倉で晩ご飯。ごまさばなどを頂きつつ、2017年はこれで終了。

 さて、開けて元日。
 小倉で朝の散歩をと海まで行って戻ってきた後、新幹線で博多へ。この日は博多で初詣と観光です。
 博多駅から、おととし2016年、地面に大穴が開いたあたりを通る。当時このへんで仕事をしていて、事情に詳しい兄がら解説を聞きつつ徒歩で移動。地下鉄の工事現場を見やりつつ、福岡キャナルシティを横目に見つつ、櫛田神社へ。
 神社へいったんは辿り着き、大きな山車を見物したりしたものの、あまりの人出に一旦撤退。作戦を立て直す事になり、お昼ご飯をいただくことに。元日と言うことで開いているお店もなかなか見つからなかったのですが、入ったお店で頂いたのは、三代巻とだご汁。だご汁は、前日頂いただんご汁とはまた全然違い、タイミングばっちりと言うかちょっとお雑煮風。
 三代巻と言うのはこのお店のオリジナルらしく、「コハダの博多巻ではないか」との由。おいしゅうございました。

 お昼を食べて再チャレンジし、櫛田神社へ参拝。お参りしたあと、こちらでは普通だという景品つきのお神籤をみんなで引いてみることに。いやこれ、宇佐神宮でも見かけたんですけど、説明してもらってもかなーり首ひねってたんですよね。いやだって、GoProとかニンテンドーSwitchが墨跡鮮やかに書いてあっても僕らどうしたらいいのか。
 結論としては、兄たちは御神酒、自分はお醤油もらいました。九州風の刺身醤油でしょうかね。ちょっとうれしい。

 このあとはバスで福岡タワーへ。刀が地面に突き刺さったような、と突っ込まれていた、ソリッドな構造のタワー。タワーの高さとしては、スカイツリーと東京タワーに次ぐ第三位です。一位がぶっちぎりなんですが、まあ、スカイツリーはおかしいですからね。色々こう。
 光差す街中を一望し、北は博多湾から、能古島、金印で有名な志賀島、さらには海越しに相島、大島を望み、街中にある福岡空港に飛行機が発着する光景を、夕陽とともに満喫。この福岡タワーの展望台でしか機能しない、専用アプリがあるのはちょっと面白かったです。

 往復の新幹線で小倉へ戻ったあと、会食して終了となりました。
 この日は同じ宿で連泊です。

 さて、最終日となる2日。1日は博多の観光に対し、2日は北へ。門司と山口を観光してきます。
 兄に迎えに来て貰い、移動開始。天気はいいし、風は強いものの、とにかく海が綺麗なこの日。寄り道のあと、門司港の観光区画である門司港レトロへ。
 展望台もある立派な建物が、大部分マンションと聞いて首をひねったり、旧税関の建物を見学。跳ね橋を渡って門司港レトロを一週したあと、関門海峡へ移動。このあとは、徒歩で関門トンネルを通過するのです。

 関門トンネルのたもとは、関門海峡を一望できる絶景。鳥居越しに関門橋が覗けるのは、海が綺麗なだけあって絶景です。
 めかり神社をちょっと覗いて、やっぱり人が多いので断念したあと。トンネル入口から、エレベーターで地下深くへ。エレベーターで一緒になったのは重装備のランドナーの人。関門トンネルのうち、歩行者が通る人道トンネル。自転車やバイクも通行OKですが、エンジンは切って押して進むのが必須です。まあそりゃ危ないですからね。

 トンネルの入口、地面に書かれた「→下関」の門司にテンションが上がりつつ、ゆるくV字型になったトンネルを徒歩で移動。歩いている人は結構被く、それもそのはず、徒歩での距離はおおよそ800mほど。ほぼほぼの中間地点には、福岡県と山口県の県境があり、真ん中に一本線が引いてあって、床に表記されています。遠くから見ても、みんな記念撮影しているので分かりやすい。もちろん僕らも記念撮影してまいりました。

 人道トンネルから上がると、出口のすぐそこが、源平合戦のファイナルステージ、壇ノ浦。関門橋を見上げる位置に古戦場跡があり、源氏は源義経八艘飛び、平家は平知盛が錨を抱えた構えの銅像があります。知盛はここから超必殺技でも打ちそうな構えですが、入水するときの構えなんですよねこれ……。
 すぐ近くには安徳天皇入水の地の碑が。一方、逆側には長州藩が外国船打ち払いに使った大砲の実物と、八十斤カノン砲のレプリカ4門が。このレプリカのほう、お金入れると大砲の発射音がBOSEのスピーカーで轟き、煙が上がると言うギミックがあり、義姉さんが一回鳴らしたら、近くにいた観光客の皆さんが面白がって、結構遠くに行くまで、つぎつぎ鳴らしておりました。突如発生したムーブメント。

 しばらくてくてくと歩いて、赤間神宮へ。安徳天皇を祀るこちらには、平家一門の墓所があり、鳥居の前には海の中から繋がっている階段があります。平家一門が海から上がってこられるようにですね、
 前日から何回目かのお神籤を引き、「よけいなことはしないほうがいい」と言うかなり世知辛い御言葉をいただいたあと。平家一門の墓所をお参りし、耳なし芳一のお堂を祭り。宝物館を覗いて、お昼にはしまきを頂いたあと。すぐ隣にある安徳天皇の御陵をお参り。
 へんなところに道がつながっている? と、そっちの方に行ってみたら、なんとそこは日清戦争の講和条約、下関条約が結ばれた場所である春帆楼。史跡でありながら、今も料亭として経営している、と言う現役史跡です。

 伊藤博文と陸奥宗光の胸像を見て、別館にある史料館を見たら、いよいよ観光も締めくくり。
 海響館まで歩いたあと、連絡船での移動になります。巌流島に行けるか行けないか、ちょっと悩んだものの、時間の関係で、残念ながら断念。
 そのまま連絡船に乗り、午前中に歩いていた門司港レトロへ上陸。そのまま帰路を辿り、北九州空港へと移動した塩梅でありました。

 結局、飛行機が遅れたりとかして空港でちょっと時間が余り、空港で足湯に入っていたりもしましたが、それはそれとして。

 早めにまとめておこうと思って振り返りました、北九州旅行三泊四日の、以上なりゆきでありました。

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