湖を越えて行け、海原の覇者となれ:新・水滸後伝(☆☆☆)
中国中世。百五十年近くの繁栄を誇る宋王朝。栄華と爛熟の果てにいつしか国は内から腐り、姦物が国を私物化し、上下に賄が横行する、悪逆の世と成り果てていた。
不正腐敗の世を怒り、正義と暴力の趣くまま世間を飛びだした、百八人の無頼の好漢たち。
星主・宋江のもと、梁山泊に覇を誇った彼らだったが、宴は長くは続かなかった。朝廷の招きに応じ、罪を許され帰順した彼らを待っていたのは、四方の敵との果てしない戦い、そして腐敗した政府からの非道だった。
最後の敵・方臘との全面戦争のすえ、義兄弟の三分の二までも失った彼らを最後に待っていたのは、宋江たち指導者の暗殺と言う結末。
その数を三分の一ほどにまで減じ、辛うじて生き残った者達にも、もはや戻るべき場所もなく。かつての梁山泊の好漢達は天下へ散り散りに消えてゆき。かくて、水滸伝の物語は終わりを告げた。
さあ、第二ラウンドをはじめよう。
かつての水軍頭領・阮小七が、因縁をふっかけた役人を殺したことをきっかけに、好漢達の運命は再び回り出す。戦に焼かれても、敗北に焼かれても。弱きを助け、悪しきを躊躇いなくブチ殺す、好漢の好漢たる由縁は、生きている限り変わりはしない。あるいは疑われあるいは義憤を振るい、次々と出奔していく好漢たち。
そして天下もすでに太平ではなかった。北の侵略者・金の侵略の前に、腐敗の夢もついに破れて。国土は侵略者と反逆者に溢れ、宋王朝は戦乱の世へと転がり落ちていく。
あるいは山塞に寄り仲間を集め、あるいは一軍を率いて侵略者に挑み。それぞれの場所で、それぞれの戦いを続ける三十有余の運命は、やがて一人の男のもとへとたぐり寄せられていく。
混江龍・李俊。湖を越え、長江を越えて、彼はいまや大海原の先に、己の運命を切り開いていた……。
てなわけで、新・水滸後伝、上下巻読了いたしましたー。
水滸伝は皆さんご存知、では水滸後伝とはいかなるものか。百八人の主人公がだいたい(雑な)最後を遂げる水滸伝の結末のあと、と言うていで。清の初期、日本では江戸時代の初めくらいに書かれた、その名の通りの続編が「水滸後伝」。
そしてその水滸後伝を田中芳樹が改めて書き上げたのが、この新・水滸後伝となります。お話の筋は水滸後伝にかなり忠実に。そこにアレンジを加えて、より読みやすく仕上げられています。
水滸伝本編で、ラストまで生き残ったとして、その後の人生が描写されていた百八星の生き残りを中心に、仲間には加わらなかった縁者たち、戦死した好漢の子供達が加わります。
とくに物語の前半では、オムニバスのように主人公を交代しながら、徐々に戦乱に巻き込まれていく国内で、彼らが旅をする様が描かれて。そして後半では、徐々に再び一丸となったかつての義兄弟達が、海の彼方に新天地を築いて、そこを守るために戦う様が描かれることになります。
水滸伝本編でもそうでしたが、わけても面白いのは前半部で。つぎつぎと旅先で、あんたも生きていたのか、とかつての知己と出会い、丁度良かったと共闘したあと、主人公が交代する、と言うような感じで。つぎつぎと登場人物が入れ替わっていきます。
そして背景はといえばまさに戦乱の時代。金によって国都開封が落とされ、皇帝が捕虜となり宋がいったん滅亡。そして国土の北半分を失いながらも、南宋として復活する、その時代の有様を背景に、好漢達の放浪と反乱が描かれているのです。
これは本編でそう決定されているからでもあるんですけども。メインとなる生き残りの百八星達が、純戦闘員と言うよりも、何か一芸を持って、なおかつ殴り合いも強い、みたいな人達がわりと多いので。登場人物はかなり多いですが、それでもなお理解しやすいのではないかと思います。もっとも、水滸伝を予習しておかないと、なにがなにやらになる恐れは十二分にあるとは思いますが……。
最後の最後、結末に至るまでの流れは実に心に響くもので。水滸伝本編までひっくるめて、すべてのエンディングとして感じ入ることができると思います。
もともとの水滸後伝を知っている人も未読の人も、この機会にぜひ。
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